以下の簡単な年表は、巣鴨プリズン(東京拘置所)の歴史を、重要な出来事に絞って示したものだ。これを見ると、実に70年以上にわたってこの地が「負」の用途を背負い続けていたことが分かる。戦争にフォーカスすると、戦中はスパイなどの処刑や拘束が行われ、戦後は戦犯の処刑・収容の場となった。いわば国家的な惨禍を象徴して余りある舞台であった。
(現在の東京都豊島区東池袋)に移転
警視庁監獄巣鴨支署(後の巣鴨監獄、巣鴨刑務所)として設置
1937年:未決囚を主に収容する市谷刑務所が移転し、東京拘置所と改称
1944年:ゾルゲ事件の主犯とされるリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実の死刑を執行
1945年:米軍が東京拘置所を接収し、巣鴨プリズンと呼称
1948年:極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた東條英機ら7名のA級戦犯の死刑を執行
1952年:サンフランシスコ平和条約の発効に伴い日本へ移管。巣鴨刑務所に改称
1958年:巣鴨プリズンが閉鎖(東京拘置所が復元・設置される)
1971年:東京拘置所を葛飾区小菅に移転
1973年:サンシャイン60のビル建設工事が着工
1978年:サンシャインシティが全面開業
サンシャイン60は、1978年の開業時、地上高239.7mのアジアで最も高いビルだった。総事業費は約1900億円に及び、民間企業の「株式会社新都市開発センター(現・株式会社サンシャインシティ)」が中心となって、単なるオフィスビルではなく水族館やホテル、ショッピングセンターを一体化した日本初の本格的な巨大商業コンプレックスであった。
広大な刑務所の跡地に、単なる商業ビルではなく、政府からの「青少年施設建設」の要請に応えつつ、超高層ビルと巨大商業コンプレックスを建てるという野心的な試み自体が、膨大な加害と被害が交差する「負のイメージを払拭し、明るい未来都市を作る」という動機に裏付けられていたことが十分うかがえる。
約7万通に上る応募の中から選定された名称
サンシャイン60の名称が約7万通に上る応募の中から、「明るく新鮮」「日本のシンボルにふさわしい」などの基準から選定されたことは、戦後の「闇」を進歩と発展という「光」(サンシャイン)によって上書きすることを明確に意図していた。高度経済成長を経た心理的な背景は侮れない。原爆ドームですら1960年代には存廃論に揺れたのだから。


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