だが、そのころがまさにブルトレブームのピークといえる時期で、撮影の仕事は次々と舞い込み、撮り続けているうちにPF形もすっかりなじみの機関車となった。PF形はそのいかついスタイルや、貫通扉にヘッドマークがぴったり収まったデザインを美しくとらえようと、前面を強調したアングルで撮った写真が多い。
その後、85年には九州行きブルートレインの牽引機がPF形からEF66形に代わった。EF66形は高速貨物列車用として誕生した機関車だが、それまで写真家仲間とブルートレインを牽引したら面白いだろう、でもありえない、などと話していたので、実現したときには驚いたものだ。
牽引機がEF66形に代わったころにはブルトレブームはすでに落ち着いており、走行シーンの撮影は多かったが、同乗取材を行うことはほとんどなかった。末期の2008年、雑誌の取材で「富士・はやぶさ」に乗ったものの、揺れはひどく車内もガラガラで、往年を知るものにとっては寂しい同乗取材だった。
関門トンネルの「銀色機関車」
九州行きのブルートレインはブームのころ、東京―下関間をこれまでに挙げたEF65形500番台・1000番台の直流電気機関車が牽引し、関門トンネルを通る下関―門司間は専用の交直流電気機関車、EF30形やEF81形300番台に交代した。これらの機関車は特徴あるステンレス車体で、銀色の機関車への交代シーンはブルトレ同乗記では欠かせないポイントだった。

