「父は『自分の思い通りにしたい』という欲求がすごく強くて、そうならないと怒りだす。はた目には愛情が強く見えるみたいですが、僕たちからしてみたら『支配』でした。家庭という場所は、世間が言うほど温かい場所ではないかもしれません」(智史さん、以下同)
むしろ「社会でいじめるとアウトだから、家庭内でやるほうにシフトした」と言えるほど、陰湿で逃げ場のない空間だったと言います。
何より智史さんがつらく感じていたのは、言葉の暴力です。
「クズ」「ゴミ」などの罵倒はよくありましたし、あるときは「おまえは人生詰んでいる、あきらめろ」などと言われたことも。父親のその言葉は、今も深い心の傷となっています。
兄に対しても、父親は同様の態度でした。智史さんが小学6年生の頃、「あいつ(兄)はもうダメだから、捨てられたくなければおまえが頑張れ」と言われたときは、「ぞっとした」といいます。
専業主婦だった母親は、父親の言いなりでした。息子たちが受けている虐待を認めようとせず、智史さんが「警察に相談したい」と言えば「そんなことをしたら親子の縁を切る」と答え、彼が親戚に助けを求めたときは、「あの子は頭がおかしいから勝手なことを言っている」と話していました。
「怒りを通り越して、悲しかったですね。ただ、母も自分が生きていくために必死で、父に見捨てられないため、しがみついていたところがあります。父に何か言うと、『じゃあ離婚する』などと言われたりするので、逆らえなかった」
母親は父親の機嫌を損ねないことを何より優先し、智史さんにはよく「お父さんは子どもっぽいところがあるから、あなたが我慢してあげて」と言っていたそうです。
精神科に通うことさえ困難だった
小学校の高学年頃からよく、頭のなかでぐるぐると、些細な、とりとめのないことを考え続けてしまい、ほかのことが手につかなくなり困っていたという智史さん。
中学2年生の頃、「精神科に通いたい」と訴えましたが、母親はなかなか応じてくれませんでした。このままではよくないとわかっていたはずだけれど、「事実から目を背けたい、なかったことにしたい」と思っていたのだろうと、智史さんは話します。


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