宿題の量は多く、楽な勉強ではなかった。それでも続けられたのは、その大変さを共有できる相手がいたからでもあるだろう。
わからない問題について相談する。授業が終わってからも、喫茶店で解法の話をする。教室を出ても勉強の話が続くのは、単に試験が迫っているからではない。彼らにとって、その話題自体が面白かったのだ。
受験というと、他人との競争や孤独な努力を思い浮かべる人もいる。しかし岡田さんの語る受験生活には、一緒に考える楽しさがある。同じ目標に向かう仲間がいて、解けるようになれば、その喜びも共有できる。「部活」という言葉は、その実感をよく表している。
そして岡田さんは、東京大学理科一類に合格した。
問題を解く楽しさを味わいながら、仲間と目指してきた場所にたどり着いた。受験というゲームは、そこで一区切りを迎えた。
東大に入って初めて感じた「授業がつまらない」
ところが、大学に入ると、岡田さんの勉強への熱は冷めていく。
「授業がつまらない」
彼は、当時をそう振り返る。
それまでの塾や中高の授業では、解き方を教わり、それを使って問題を解けるようになる。その積み重ねを実感できていた。大学では、同じようには楽しめない授業が増えたという。
これは、大学の先生が教えるのが下手だという話ではない。少なくとも岡田さんには、それまで親しんできた授業と、大学で受ける授業の間に大きな隔たりがあった。研究の前提や流れを聞いても、何をつかめばよいのかわからない。受験勉強で味わっていた達成感を、同じようには得られなかった。
そこに、「なんでこれを勉強しなきゃいけないのか」という疑問が重なる。
受験期なら、「合格するため」という理由があった。目の前の問題を解くことが楽しくても、そうでなくても、勉強を続ける目的ははっきりしていた。
合格後には、その理由が使えなくなる。次に何を学ぶのか。どんな分野に関心があるのか。それを自分で考えなければならない。
インタビューで岡田さんの話を聞きながら、自分は「問題を解く力」と、「問題を考える力」の違いを考えた。
受験では、問題は出題される。何を問われているかを読み取り、持っている知識を使い、答えにたどり着く。岡田さんは、その過程を楽しめた。
けれど大学以降の学びでは、自分が何を知りたいのかを考える場面が増える。興味がすぐに見つかるとも限らないし、時間をかけて取り組んでも、成果が点数で返ってくるとは限らない。
受験で力を発揮できた人が、その変化にもすぐなじめるとは限らない。岡田さんにとって、東大合格は大きな達成だった。同時に、それまで勉強を続ける理由になっていた目標がなくなる出来事でもあった。


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