高市首相は今回の所信表明演説で、「守りの姿勢が蔓延している」として、「挑戦」という言葉を7回も連呼した。その一方、自らの政治信条として「経世済民」を掲げたことが、政界関係者の間で注目された。
この「経世済民」という言葉は中国の古典からの引用で、「世を治め、民を救う」という意味から「経済」の語源ともされる。政界にこの言葉を広めたのは故・竹下登元首相だ。
竹下氏は1987年7月に巨大派閥だった当時の田中派を乗っ取る形で、新派閥「経世会」を結成した。竹下氏は「経世済民」を踏まえてこの派閥名を決めたとされ、その後も「経世会」という呼び名はさまざまな派内闘争を経て、現在の旧茂木派に引き継がれている。
その竹下氏が自らの首相の座を失ってまで実現させたのが、消費税の導入だった。当時の竹下内閣は消費税導入に挑み、88年12月の臨時国会で、強行採決により関連法を成立させた。その後、リクルート事件に対する批判も加わって、竹下首相は翌89年6月に辞任に追い込まれた。
「経世済民」を掲げた高市首相の真意
高市首相が今回の所信表明で、あえて竹下内閣の“偉業”も踏まえて「経世済民」という言葉を前面に掲げたとすれば、「自民党の歴史に逆行する皮肉な言動」(自民党長老)とも映る。
ただ、高市首相の政界入りは93年の衆院選での初当選。しかも、竹下内閣での消費税導入時にはアメリカ滞在中。このため、高市首相周辺は「『経世会』の由来などもきちんと理解しないまま、今回の所信表明のキーワードにしたのでは」(側近)と苦笑交じりに解説する。
その高市首相は演説で、議場を見回しながら「私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。『志』を掲げ、挑戦を恐れず、実行を積み重ねていく」と目を見開いて力強く訴え、「私の貫く志」として「経世済民」につなげた。
さらに高市首相はこれに続く演説の中で、「長く続いた停滞の経験から、(国民や企業に)『守りの姿勢』が蔓延している」との認識を示し、世界各国が成長分野への投資を競う中、日本が再び成長する国へ転じられるかどうかについて、「現在を重要な分岐点」と位置づけることで「責任ある積極財政」の論拠とした。
こうした高市首相の演説に対して、野党からは「消費税減税の財源が不明確」との批判が相次いだ。


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