清野:おっしゃる通りです。大学には「研究機能」と「教育機能」の2つがあると考えています。前者でいえば、優秀な研究者になり得る、18~19歳の段階ですでに芽が出ている子どもをペーパー入試や総合型選抜で合格させるのは一理あります。
しかし、教育機関としての機能を重視するのであれば、「まだ芽が出ていない学生にどうやってチャンスを分配するか」という公平性の観点から入試選抜を考えなければならないはずです。
また、実態として、今の大学ではダイバーシティ・エクイティ&インクルージョンの最後の「インクルージョン(包摂)」がほとんど成功していないに等しいと感じています。東大でも留学生の比率は高まっていますが、システムを設けないと日本人学生と交流することはほぼありません。
名門大進学後も続く「見えない階級」の壁
ブレイディ:「インクルージョン」の難しさは、階級問題にも直結しています。最近私が書いた『それはどこでも起こり得る』の「クラス・シーリング(※階級の天井、グラス・シーリングをもじった表現)」の章に詳しく書いたエピソードがあります。以前、私が勤めていたイギリスの無料託児所に来ていたヤングケアラーの青年が、オックスブリッジと呼ばれる大学に進学したことがありました。
私たちは「奇跡のサクセスストーリーだ」と喜んだのですが、実は本人は大学でうまくいっていなかったのです。彼が割り当てられたのは、留学生や同じような階層から来た学生が多いカレッジでした。表向きはスマートに接してくれる他のカレッジの生徒たちは、彼の所属するカレッジを「多様性の館」と陰で揶揄していたのです。
さらに、名門私立校出身の学生たちのように海外旅行をしてきたわけでもないし、アクセント(訛り)で階級が分かってしまうため口を開くのも億劫になり、ジョークの質も違うため、ひどい孤独感を感じてメンタルを病み、最終的には大学を辞めてしまいました。
清野:それはイギリスと日本で少し違う点かもしれませんね。日本では、貧富の差や階級でジョークの質が違うことは少ないでしょうし、方言が階級と直結しているわけでもありません。
日本の大学進学後に現れる「クラス・シーリング」は、教養の違いというよりも、中学・高校・塾での受験教育を通じて「必須知識がどれだけインストールされているか」という点でジャッジされるという、日本らしい格差の形があるように感じます。私が通っている東京大学でも、出身校は有名私立中高一貫校である学生が多く、独自のコミュニティが形成されています。


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