議員の発言のとおり、「シビコ」に入っていたジャスコ岡崎店は、前身の岡田屋が1965(昭和40)年に三重県外に初出店したものだった。それを拡張する形で、1977年に「シビコ」の核テナントとなった。
ところが1995年、郊外にジャスコ岡崎南店をオープンさせ、1998年に「シビコ」から撤退したのである。
ジャスコのこのような動きは珍しいものではなく、積極的に店舗をスクラップ&ビルドしていた。
ジャスコの岡田社長は、「立地が変わって、やっていけなくなった店はスクラップして、別なところに新店舗をビルドする。このようにして、企業は成長と安定の両方のバランスをとっていかねばなりません」と述べていた。(『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』1977年5月)
変化した“立地”
岡崎市でも“立地が変わって”いたのだ。その根底を成すのは、路面電車の廃止とモータリゼーションの進展である。
岡崎城の城下町から発展した岡崎市の中心市街地は、東岡崎駅から乙川を挟んで北に約1km、JR岡崎駅から北に約4kmの場所に位置している。
岡崎駅が中心市街地から離れた場所にあるのは一説によると、1888(明治21)年に東海道線が設置された際、宿場町が鉄道の市街地通過に反対したからだ。
そこで岡崎駅と中心市街地を結ぶ馬車鉄道が敷設され、1912(大正元)年に電化されて路面電車が開通した。戦後まで休日には多くの人々が康生地区を訪れていた。康生地区は古くから城下町として栄え、繁華街としてにぎわっていた。
ところが自動車が普及すると路面電車の乗客が減り、1962(昭和37)年に廃止されてしまう。車中心の街になり、中心市街地は東岡崎駅とJR岡崎駅から国道1号で分断された。加えて乙川も市街地と駅を分断している。
それでも1970年代には、再開発で生まれた商業施設が市外からも客を呼び込んだ。駐車場と店舗から成る「セルビ」がつくられたように、中心市街地も車での来街を見込んでいた。


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