一人ひとりの子どもが持っている個性や才能、成長のペースは、それぞれが挑んでいる「山の形」そのものです。他の子と我が子では、登っている山が根本的に違うのですから、高さを比べることには何の意味もありません。それぞれの山には、次のような3つの違いがあります。
(1)「道」の違い(興味と才能の方向性の違い)
ある子は、一直線に頂上を目指すような整備された階段(例えば、学校の勉強にすんなり適応できる特性)を登っているかもしれません。しかし別の子は、草をかき分け、虫を追いかけながら進む獣道(ひとつのことに強いこだわりを持つ職人気質な特性)を歩いているかもしれません。スポーツという山にいる子もいれば、芸術という山にいる子も、人間関係の機微を学ぶという見えない山にいる子もいます。道が違えば、必要な装備も、歩き方もまったく異なるのです。
(2)「傾斜」の違い(成長のペースの違い)
緩やかな坂道を一定のペースでコツコツと登っていく子もいれば、最初はなかなか進んでいるように見えないのに、ある時期から急激な崖をクライマーのように一気に駆け上がる「大器晩成型」の子もいます。
途中で大きな岩に行き当たり、しばらく足踏みをしてしまう時期もあるでしょう。傾斜はその子の山が持つ形そのものであり、親が外から無理に押し上げようとすると、バランスを崩して滑落してしまう危険すらあります。
(3)「景色」の違い(その子だけの経験と喜び)
これが一番大切なことかもしれません。子どもたちは、自分の山を登りながら、そこでしか見られない景色を楽しんでいます。外から見れば「もっと早く登ればいいのに」と思うような場所でも、その子は足元に咲く小さな花々の美しさに感動しているのかもしれません。その感動や発見こそが、その子の人生を豊かにする栄養になります。
別の山の頂上からの景色と、我が子が今見ている足元の景色、どちらが優れているなどと比べることはできません。ご相談者さんのお子さんが「マイペースで焦る様子もない」というのは、もしかしたら今、そうした「自分の山の景色」をしっかり味わっている時期なのかもしれません。
見るべきは隣の山ではなく、わが子の「足元」
「違う山を登っている」という事実を受け入れると、親の役割がガラリと変わります。
もし、自分の子どもが別の山を登っていると本気で理解できたら、もう隣の山を双眼鏡で覗き込んで「あの子はもうあんなに上にいる!」と騒ぐことはなくなるはずです。遠くの山は見えても、そこに至るまでの苦労や、その子の靴擦れまでは見えません。表面的な「高さ」だけで比較することが、どれほどナンセンスかがおわかりいただけると思います。
親が見るべきなのは、他の山の高さではなく、「我が子が、自分の山を、自分の足で一歩ずつ登っているか」です。
昨日できなかったことが、今日少しだけできるようになった。何度も転んだけれど、もう一度立ち上がって歩き始めた。新しい道を発見して、目をキラキラさせている。これらの一歩一歩の事実こそが、成長の証です。
親は、先頭を走って子どもを引っ張り上げるリーダーではなく、少し後ろから見守り、子どもが疲れたときには水筒を渡し、迷ったときには一緒に地図を広げる「伴走者」や「山岳ガイド」のような存在であるべきなのです。


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