明治は、女性にとって「新しい扉」が開かれた時代だったといえよう。明治5(1872)年の学制で、女子にも学校の門戸が開かれた。やがて女学校が生まれ、女性の書き手や職業人も現れ始める。
だが、扉が開いたからといって、自由にそこを通れたわけではない。学制の翌年、小学校に通う女子は学齢の子どもの15%ほどにすぎなかった。男子の半分にも満たない数字である。娘の進路を決めるのは親であり、家であった。「女に学問はいらない」という考えは、明治になっても多くの家庭に根強く残っていた。
明治になっても生きづらかった女性たち
明治31(1898)年に施行された明治民法は、戸主が家族を統率する「家」の制度を、法律として固めるものだった。長く続いてきた慣習に、国がお墨付きを与えたともいえる。女性の人生は、結婚という形で、ある家から別の家へと引き渡されるものだったのである。
では、こうした時代に、のちに歴史に名を残す女性たちは、どのような家に生まれ、どのように育ったのか。
大同生命の創業者の一人で、明治に実業家として活躍した広岡浅子。2015年度後期のNHKの連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインのモデルとなったが、その幼少期は窮屈なものだった。
浅子は、嘉永2(1849)年、京都・油小路出水に屋敷を構える三井家に生まれた。父は小石川三井家の6代当主・三井高益で、浅子はその4女である。生母は正妻ではなかったとされる。


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