生まれた家は、日本屈指の豪商だ。暮らしに困ることはなかった。だが浅子の人生は、物心がつく前から決められていた。わずか2歳で、大坂の豪商・加島屋の次男、広岡信五郎との縁組が定まっていたのである。
少女時代の浅子に求められたのは、三味線、琴、習字、裁縫といった、商家の娘としてのたしなみだった。浅子が心惹かれたのは学問のほうだったが、家族はこれを許さなかった。浅子は12歳頃には、ついに両親から読書を禁じられてしまう。
後年の浅子は「なぜ女は男のすることをしてはいけないのか」というような思いを抱いたと振り返っている。
慶応元(1865)年、15歳の浅子は約束どおり加島屋へ嫁いだ。胸にくすぶっていた「学びたい」という不満が、のちに女子高等教育を後押しする原動力になっていく。
貧困と闘い続けた樋口一葉
浅子より23年遅れて、明治5(1872)年に東京で生まれたのが樋口一葉(本名・奈津)である。明治時代に『たけくらべ』『にごりえ』などを執筆した女性作家もやはり「親の壁」に阻まれて、なかなか思うように生きられなかった。
父の則義は甲斐国の農民の出身で、江戸で幕府の下級役人の株を手に入れ、維新後は東京府の役人として働いた。
一葉は幼い頃から本の虫で、同じ年頃の子どもが遊ぶ手毬や羽根つきには目もくれなかったという。明治16(1883)年12月、11歳の一葉は私立青海学校の小学高等科第四級を首席で卒業した。だが、その上に進むことはできなかった。母の多喜が「女に学問は不要」と考えていたためだとされる。
娘の才能を惜しんだのは父だった。則義は明治19(1886)年、一葉を中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門させる。
ところが、その父が明治22(1889)年、事業に失敗して借金を残したまま世を去る。長兄はすでに亡くなっており、次兄は勘当されていた。一葉はたった17歳で樋口家の戸主として、一家を支えなければならなくなった。生計を立てるべく、筆をとった一葉だが、生涯を通じて貧困と戦うことになる。
そして、明治30(1897)年、山口県岩国に生まれたのが、朝ドラ『ブラッサム』の主人公のモデル・宇野千代である。
千代の家庭環境は、浅子や一葉とはまた違う意味で過酷だった。父の宇野俊次は定職につかず、各地を放浪し、博打で財産を使い果たす始末。無一文になってからも本家からの送金に頼って暮らしたという。千代は後年、この父を、バルザックかドストエフスキーの小説にしか出てこないような「畸人」と評している。


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