幼くして生母を亡くした千代を育てたのは、継母のリュウである。一方で、父は家の中で絶対的な存在だった。千代は父から雑誌や新聞を読むことを禁じられていたため、厠へ行くふりをして隠れて読んでいたという。
病で自分の死期を悟った俊次は、「自分の目の黒いうちに」と、14歳の千代の結婚を強引にまとめたとも伝わる。娘の人生を決めるのは、最後まで父だったのである。もっとも、この結婚生活はごく短期間で終わった。
父の死に対する正直すぎる感想
大正2(1913)年、俊次は57歳で世を去った。千代は15歳だった。のちに千代は、このときのことをこう振り返っている。
「父親が死んだ。私は涙を滝のように流したが、やはり何となく嬉しかった。私はもうどんなことでもできる」
悲しみと解放感が入り混じった、この正直すぎる感情こそ、宇野千代という作家の出発点だったのかもしれない。父がいなくなった千代は、小説をむさぼるように読み始め、詩や散文を雑誌に投稿するようになる。
自由を求めて駆け抜けた98年の人生は、ここから動き出したのである。
【参考文献】
文部科学省『学制百年史』
広岡浅子著『人を恐れず天を仰いで 復刊『一週一信』』(新教出版社)
『新潮日本文学アルバム 樋口一葉』(新潮社)
『新潮日本文学アルバム 宇野千代』(新潮社)
宇野千代著『生きて行く私』(角川文庫)


※ログイン後、コメント入力が可能です。