この4つは、いずれも都会の論理とは共存しにくいものです。
「結果を手放す」は無責任に聞こえ、「余白を作る」は計画の甘さに見え、「五感で理解する」は非科学的に響き、「待つ」は無能の証とされる。
4つとも、評価されるどころか減点される項目でしょう。
けれども、少し丁寧に見ていくと、どれも放棄ではないことが分かります。
「結果を手放す」は、努力を放棄することではありません。人事は尽くすのです。ただ、尽くしたあとの結果まで握ろうとしない。天候も相場も、握ろうとしたところで握れないからです。にもかかわらず僕らは、握れないものを握ろうとして、その分だけ余計に疲弊しています。
「余白を作る」も、設計を粗くすることではありません。予定を隙間なく埋めた組織は、想定外の一撃で止まります。あえてノイズが入る余地を残しておくことが、システムとしての強さになる。これは効率の敵ではなく、効率が壊れないための条件です。
「五感で理解する」が必要な理由も、考えてみればはっきりしています。指標になっていないものは、指標では見えないからです。土の健康はダッシュボードに表現できません。表現できるように加工しようとすれば、その瞬間に何かがこぼれ落ちる。だから数える以外の方法で捉えるしかない。五感は精神論ではなく、指標化を拒む対象に対する、きわめて実用的な計測手段なのです。
「待つ」というのも、計算上の待機ではありません。彼らの「待つ」は、自然というパートナーのリズムに自分を合わせる行為です。六十年周期の相手と付き合うとき、待つとは我慢することではなく、自然の時間の単位にこちらの時計を合わせていくことなのです。
組織は「生態系」である
さて、ここまで読んで、これは一次産業に固有の話だと感じた方もいるかもしれません。自分の仕事は畑でも山でもない、と。
けれども、僕らのビジネスは一次産業とそれほど変わるものではありません。
僕らはオフィスで、機械のようなものの中で働いていると思い込んでいます。
組織図、業務フロー、KPIツリー。どれも設計図であり、入力を与えれば出力が返ってくる装置の比喩でできています。
だから壊れたら部品を替え、遅ければ回転数を上げる。その発想で、僕らは組織を扱っています。
しかし、一皮剥いてみれば、組織を構成しているのは生身の人間です。人間は機械ではなく、生き物です。
ということは、その集まりである組織も、機械ではなく生態系です。


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