第二次世界大戦後のアメリカにおいて「保守派」と自称してきた新自由主義者(ネオコンやリバタリアン)は、実のところ「古典的リベラリズム」の一形態に過ぎなかった。
彼らは社会や家族の伝統を守ると口では言いながら、経済の領域では「破壊的イノベーション」とグローバル市場の拡大を加速させ、結果として伝統的な生活様式を自ら打ち壊してきたのである。
マルクス主義が陥った「大衆の解放」という幻想と破綻
左右のリベラリズムに対して、第3の進歩主義伝統として現れたのが「マルクス主義」であった。マルクス主義は、リベラルな資本主義がもたらす人間疎外や労働者の細分化(分業の悪影響)を厳しく批判し、プロレタリアート(大衆)による革命を唱えた。
マルクスは、資本主義の矛盾が限界に達したとき、労働者階級が階級意識に目覚めてブルジョアジーを倒し、階級も分業も国家すらも消滅した共産主義ユートピアが到来すると想像した。その理想社会において、人間は「朝に狩りをし、午後に漁をし、夕方に牛の世話をし、夕食後は批評をする」という、何物にも縛られない完全な自己実現を果たすとされた。
しかし、マルクス主義もまた、近代の「進歩のドグマ」から抜け出すことはできなかった。
現実の共産主義革命において起きたことは、大衆の真の解放ではなく、労働者階級の名を語る「前衛党(エリート革命家)」による暴力的な専制統治であった。彼らは旧来の人間関係や宗教、地域秩序を「反革命的」として徹底的に破壊し、人間を国家の機械の歯車へと変えてしまったのである。


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