おそらく、あなたは、泣く赤ちゃんを抱き上げて「よしよし眠たいのね」とあやすはずです。このイメージが「包容としての共感」です。
もちろん、気心の知れた相手と雑談をするときに「私もそれ好き!」と「接点としての共感」を用いることはありますし、これ自体は、コミュニケーションにおいて重要な役割を果たしています。
しかし、場面がシリアスになればなるほど「接点としての共感」の出番はなくなります。共感モードの強度を高めて「包容としての共感」へとギアチェンジしましょう。
「接点としての共感」は無意識レベルでもできるものですが、「包容としての共感」には自覚が必要です。聞き手自身が自分の器を広げるイメージを持ちながら、相手の意見や感情をそのまま包み込む意識が必要です。
児童文学『モモ』に学ぶ「聞く」の効果
ミヒャエル・エンデの児童文学作品『モモ』には、「聞く」という行為の持つ力が、物語の核心として描かれています。
主人公モモは、特別な知識も能力も持っていません。しかし、ただひとつ、誰にも負けない「聞く力」を持っています。
彼女は、相手の話を静かに、心から聞くことができます。それだけで、周囲の人々は癒やされ、自分の本当の気持ちに気づき、立ち直っていきます。
モモは、誰かを変えようとしたり、正そうとしたりすることはありません。アドバイスや説教もしません。
ただ、相手の存在をまるごと受け止めるように耳を傾けます。「包容としての共感」です。相手が大事にしているものを、自分も大事にする。その姿勢が、人の心に変化を起こすのです。
たとえば、親友のベッポは、口下手でゆっくりとしか話せない道路掃除夫です。多くの人は彼の話を途中で遮ってしまいますが、モモだけは最後まで聞きます。言葉にならない思いが形になるまで、沈黙ごと受け止めるのです。
安心したベッポは、やがて「一歩ずつ、目の前の道を掃除する」という人生哲学を語ります。彼の中に眠っていた知恵が、モモの「聞く力」によって引き出された瞬間です。
モモのもとには、近所の子どもたちも集まってきます。彼女の周囲では、けんかが自然と収まり、笑顔が広がります。
モモは特別な解決策を提示しません。ただ一人ひとりの話に真剣に耳を傾けます。その体験が、子どもたちに「自分は大切に扱われている」という感覚を与え、自ら問題を乗り越える力を引き出していくのです。
『モモ』が教えてくれるのは、「聞く」という行為が、人と人とのつながりを深め、忘れかけていた「生きる実感」を取り戻す力を持っている、ということです。誰かの話を丁寧に聞くとは、その人の時間、すなわち命に敬意を払うことでもあります。


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