すると相手もまた、あなたとの距離を感じ取ります。結果として、あなたは「やっぱり距離がある人だった」という結論に落ち着きますが、それは相手の問題ではなく、自分の色眼鏡がつくった現実かもしれません。
共感モードでは、色眼鏡をいったん脇に置きます。
経営者であっても、ひとりの人間です。責任に押しつぶされそうになっているかもしれないし、孤独を感じているかもしれない。若手社員であっても、誰よりも細かく現場を見ているかもしれません。無口な人は、話せないのではなく、言葉を慎重に選んでいるのかもしれません。
大切なのは「こういう人に違いない」という色眼鏡を外し、「この人は何を感じているのだろう?」「何に興味・関心があるのだろう?」と問い続けることです。
そのためには、自分の内側にある色眼鏡の存在に気づく必要があります。
「今、私はこの人を『偉そうな人』と見ていないか」「今、私は『話が合わないだろう』と決めつけていないか」という具合です。そう自分に問いかけた瞬間、貼っていたラベルが剥がれ始めます。
共感とは、相手を理解しようとすることであり、自分の色眼鏡を自覚することでもあります。色眼鏡を外したとき、初めて相手の表情の微妙な変化や、言葉の奥にある温度に気づけるようになります。
肩書きや第一印象ではなく、「目の前のひとりの人間」として向き合う。その姿勢を見せたとき、相手もまた心のガードを緩めてくれるのです。
本当の共感とは何か?
「共感」とは一体何なのでしょう?
「わかる、わかる!」「それ、あるある!」など、相手の意見に同意すること。確かにそれも共感のひとつでしょう。ただし、この「わかる、わかる!」や「あるある!」にはあなたの意見が含まれています。
つまり、相手の考えと自分の考えに接点があることを共感と呼んでいるわけです。これを「接点としての共感」と呼びましょう。
一方で、真の共感は、相手と自分の接点にこだわりません。聞き手であるあなたが相手の意見や感情をそっと受け止めるイメージです。そこに、あなたの意見や評価、ジャッジは必要ありません。
相手がその気持ち・意見であること、そのカタチを認めることが真の共感です。このときに必要なのは「包容としての共感」です。
赤ちゃんが眠たいときに泣くことはよくあります。そのときに「眠たいときに泣くなんて意味がわからない」と思う大人はいないでしょう。かといって「私も眠たいよ」と「接点としての共感」をするのも、おかしな話です。


※ログイン後、コメント入力が可能です。