しかし明治維新以降、次第に曲物作りはすたれていきました。
その代わりに盆栽は、「自然」を目指すようになっていきます。もともと日本や中国には〝存在の本質〟といった意味の仏教用語として自然(じねん)という言葉がありました。
そこに欧米から入ってきたNatureの意味が加わり、自然(しぜん)と呼ばれるようになっていきます。
そして欧米には、「自然主義」という芸術運動がありました。
たとえば小説や演劇だと、単純明快に主人公が悪役をこらしめる筋書きを「勧善懲悪」といいます。それに対し、主人公にも欠陥を持たせ、現実の醜い面までも描き出すのが自然主義です。
そして盆栽界ではこの「自然」という言葉を、自然界に生きる樹木の荒々しさ、厳しさなどに畏怖を感じる態度として解釈したのです。
枝葉を思い通りに曲げるのは「むごい」?
自然という言葉が受け入れられると、盆栽職人も山の中、あるいは浜辺などを歩き、人の手が入らないまま生きている樹木を参考にするようになりました。
さらに自然の厳しさ、そして樹の生命力を求め、山採りした樹が流行するようになったのです。
盆栽に仕立てる上では、幹の力強さを強調することが重要とされるようになり、枝はそのバランスをとるために整えられるようになっていきます。
ただ、このように人間の勝手で幹や枝を曲げることを、嫌悪する方もいます。ある樹木医の方などは、盆栽を「木の纏足(てんそく)」などと呼んでいました。
特に最近は、技術の進歩もあって、人間の意志に従わせるように作った盆栽も増えてきて、私は違和感を覚えることが多々あります。
ですが、樹を鉢に植えた状態で何もせずに放置すれば、枝がぼうぼうと伸び、根もからまってしまい、樹の健康を害してしまうのも事実です。
持ち主が病気で入院し、放置されてしまった盆栽を見たことがありますが、なんともみじめな姿になっていました。
茶道の世界では花の活け方を教える際に、「花は野にあるように」と説明します。ですがこれは、野から採ってきた花をそのまま活けるという意味ではありません。
不要な枝葉を取り除くことで花のエッセンスを凝縮し、その生命力を最大限に引き出すことが大切なのです。これは盆栽にも通じる考え方だと思います。

