課題となったのは、いかに良質な石材を確保するのか、ということ。実は、城がある西ノ京丘陵をはじめ、城の近隣はまったく石が採れない地層だった。
そこで春日大社の水谷川から大石を切り出すと、郡山に運んで城の石垣に使うことになった。それでも足りない分は、寺院から礎石、五輪塔、石地蔵が持ち出され、平城京羅城門の礎石までもが用いられている。
秀長が、奈良中の各戸に五郎太石を20荷も提供するように義務づけたことで、各地で石の取り合いが起きるなど大騒ぎになり、人々はほとほと困り果てたという。
さすがに度が過ぎていると寺々が郡山に直訴したらしい。西ノ京の薬師寺には「石取りは禁じる」という書状が出されている。
その結果、大和郡山城は現在でも、転用石がふんだんに使われた城として知られている。転用石は石垣の表面だけで約1000基に及び、地蔵も約200基が確認されているというからすさまじい。
なかでも有名なのが「さかさ地蔵」だ。石垣の隙間からのぞくと高さ90センチほどの石地蔵が逆さに埋まっているのが見えることから、現在は人気スポットとなっている。
城下町繁栄のために大胆な手も
苦心したのは石垣だけではない。城門についても立派で大きい紀州根来寺の大門を、わざわざ大坂から淀川を上って、木津に陸上げし、郡山に運び込んだ。
そうして築城に励んだ結果、秀長の時代に郡山城は本丸、毘沙門曲輪、法印郭、二ノ丸、麒麟郭、円郭、玄武郭まで完成することとなった。
さらに秀長は、築城に並行して城の外、つまり城下町を繁盛させるためにも大胆な手を打つことになる。
【参考文献】
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
竹内理三編『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(臨川書店)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
柴裕之編『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(戎光祥出版)
新人物往来社編『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)



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