障害者の経済的自立を守りながらも少しずつ事業を立て直し、今では、法定雇用率に苦しむ企業が見学や視察に来ることもあるという。数年前には、法定雇用率を守れずに、毎年のように違約金を支払ってきた一部上場のIT企業がねば塾に研修にきたこともあった。彼らはその後、特例子会社をつくり、アート石けんづくりで成果を上げている。
またあるときは、自国の経済振興のために石けん作りを覚えたいと日本に来日したカンボジア人が、日本の大きな石けん会社を視察して「これは自国ではできない」と嘆く中、ねば塾を訪れてはじめて「これなら自国でもできる」と喜んで帰ったこともある。
「僕は先代とは同じようにはできない。人が変われば、思いも変わりますよね。先代と同じようにやらなきゃと思ったら重荷だし、失敗したときに後悔すると思います。次の世代も、自分がやっていることを同じようには受け継げないと思っています。その人が受け取ったことを、その人の思いに沿ってやってくれればいいんです」
なぜ福祉事業所にしないのか
それでも、経営は「ずっと厳しい」と、笠原さんは表情を一瞬だけ曇らせた。
納期が迫っているのにどうしても自分のペースを崩せない人がいると、その分周りのスタッフがカバーすることもある。最低賃金は年々上がる一方だが、塾生たちの成長スピードは人によっては10年単位だ。中には、ちょっとした社会環境の変化でそれまで通りのパフォーマンスを出せなくなる人もいる。
「給与が上がった分に見合うだけの働きになっているかというのは疑問です。うちは除外申請をしていないからなんだけど……」
除外申請とは、障害などを理由に最低賃金以下の支払いを認めてもらう制度だ。導入すると企業の負担は減る一方で、従業員の生活が苦しくなったり、自尊心を傷つけることにもつながりかねない。
15歳の頃から30年以上ねば塾で働いていた男性が、金庫破りをして出ていってしまったこともあったという。笠原さんは、「実はすごく支援が必要なのは、障害区分が重い人よりも、軽度の人で、嘘をついてしまったりスマホでお金を借りられたりしてしまう人なんです。でも実際は、行政ではそういう人の支援は手薄い。実態に合ってないんです」と訴える。
しかしなぜ、行政の支援が厚い福祉事業所にせず、企業体であり続けるのか。答えは、そもそもねば塾の出発が「自分の力で生きたい」と願った愼一さんの盟友の言葉だったからだ。商品を「障害者がつくっている」と打ち出さず、あえて品質で勝負しているのもそのためだ。


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