塩析法で石けん作りを始めると、石けんは少しずつ売れ始めた。すると加藤さんは、海外から原料を仕入れるための商社も愼一さんに紹介してくれた。愼一さんは、フィリピンにあった透明石けんの製造工場やマレーシアのパーム園などに実際に足を運び、それによって原料が安定して手に入るようになった。
そうして、1990年頃から作り始めたのが、今では代表的な商品となった「白雪の詩」だ。
「白雪の詩」の売り上げは東急ハンズで取り扱いが始まるなどして徐々にのび、1993年には有限会社ねば塾を設立。すると今度は山形から、ネット販売のやり方を教えてくれる人物が現れた。山形で福祉事業所を運営する天野俊秀さんだ。
1999年、天野さんが福祉事業所としてネット販売のシステムづくりを請け負い、「森のクラフト屋」という名前でネット販売を開始すると、全国から反響があった。
販売数はじわじわ伸び、2003年にはアットコスメベストコスメ大賞の洗顔料・クレンジング部門で2位にランクイン。2004年からは洗顔料部門で連続1位を獲得し、2006年に殿堂入りを果たした。
「怖い」から「いてくれて助かる」と言われるように
その間も、入塾希望者は増加し続けた。塾生が15名ほどになると自宅では生活しきれなくなり、1987年に、最初の生活寮「螢雪庵」を建設。「建設」と書いたが、文字通り自分たちで建てたのだというから驚きだ。
彼らと生活をともにしたのは、障害者の職場への送迎サービスがなく、家から通うのが現実的ではなかったからだ。当時はまだグループホームという概念がなかったものの、結果的に、「螢雪庵は日本最古のグループホームとなった」と笠原さんは言う。
現在は、20年ほど前に建て替えたグループホーム2棟が敷地内にある。家賃は1カ月1万5000円だが、グループホームとしての補助があるため、入居者の実質負担は5000円ほどだ。
「最初は近所の人から『怖い』と言われたりもしたんですけど、例えば雪が降ったときは自分の所だけじゃなくて周りも雪かきをしたりとか、何か迷惑をかけてしまったときは、うちで作った石けんを持って謝りに行ったりとか。少しずつ関係を作って知ってもらううちに、今では『いてくれて助かる』って言われるようになりました。『ありがとう』って言われるのが嬉しくて、雪が降れば言われなくても雪かきにいっちゃう塾生もいますよ」


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