しばらくすると、その様子がNHKで取り上げられ、放送を見た障害者の家族から「うちもねば塾に入れたい」と連絡が相次いだという。
さすがに1人で何人もの障害者をサポートしながら土木作業を続けるのは難しいと考えた愼一さん。1982年に安土倍組を退職し、石けんづくりに着手した。
石けんを選んだのは、高校1年生の教科書にも作り方が載っているほど工程がシンプルだったからだ。また、ちょうど琵琶湖の汚染問題が話題になっていたため、環境に優しい石けんをつくりたいと考えた。当時の塾生は6名。安土倍組で培ったノウハウを駆使して、自分たちで土地を開墾し、石けん工場をつくったという。
売れない石けんと、現れ続けた救世主
現在社長を務める笠原さんは、1981年に生まれ、ねば塾の敷地内にある実家で育ち、塾生たちとは家族の延長のような関わりをもって暮らしてきた。稲刈り前の稲を刈ってしまう人や、近所の犬に噛みついてしまう人など、周りからするとちょっと変わった行動をする人が身近にいるのが当たり前だったという。
子どもの頃は、兄・姉とともに石けんを売るのも笠原さんの役割だった。市役所などで待っている人の足元にそっと石けんを置き、代金をもらったと話し、「今考えると押し売りですね」と笑う。
それでも、売り上げはなかなか伸びなかった。
そんなとき、「面白いことをやっている」と聞きつけて、長靴を持参してねば塾を訪れたのが、東京で石けんの会社を運営していた加藤勲さん親子だ。
当時ねば塾で行っていたのは、「炊き込み式」という製法で、釜に油脂と苛性ソーダを入れて直火で加熱しながら撹拌するというもの。天然の保湿成分であるグリセリンが残るという利点はあるものの、お風呂場に置くと溶けやすいという欠点もあった。
加藤さんは2週間ほどねば塾に泊まり込み、「その作り方じゃ売れないよ」と新たに「塩析法」という製法を教えてくれた。石けんの溶液に塩化ナトリウムを加えることで、石けん部分を分離させる方法だ。グリセリンは残らないが、扱いやすく純度の高い石けんができる。


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