その後、空襲の被害を受け、永福町駅や永福寺、高級住宅地も焼失してしまう。
やがて駅や寺、住宅地は復興し、1960年代〜80年代初頭になると、永福町商店街が京王井の頭線沿線で有数の賑わいを見せた。ところが、1990年代後半にスーパーが撤退すると客足が減少。約200あった商店は、2000年代半ばには約150店舗にまで減った。(『毎日新聞』2007.1.24)
永福町は渋谷から3駅、吉祥寺から2駅。集客力の高い両駅に挟まれた住宅地という立地も客足減少の一因であった。
さらに永福町駅の南側には改札がなく、電車利用客の流れが線路や車道で分断されていることも商店街の頭を悩ませていた。
永福町商店街は2003(平成15)年ごろから駅南側の改札と広場の設置を要望する署名活動を実施し、2010(平成22)年に南口が新設され、2011(平成23)年3月に駅ビル「京王リトナード永福町」が開業した。
だが「京王リトナード永福町」は3階建ての小規模な駅ビルで、他に大型商業施設やタワマン、超高層ビルは建てられていない。
永福町・西永福は再開発されない街
永福町・西永福は、室町時代に創立した永福寺に由来する街で、長らく農村だった。1933(昭和8)年に現在の京王井の頭線が開通したことで宅地化が進行。駅の開設からおよそ80年を経て、駅の南北がつながり駅ビルが誕生したものの、市街地再開発事業は行われず低層な街並みが保たれている。
続く後編では、永福町・西永福が再開発されない理由を分析する。


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