椎木管区長は88年に東武鉄道に入社し、館林駅を皮切りにキャリアをスタートさせた。伊勢崎線谷塚駅の近くに暮らし、高校は春日部市内。また、親戚が成増に住んでいたこともあって、東上線は子供のころに何度か乗ったことがあった。
館林駅で3年半勤め、野田線のダイヤ改正と増発に合わせて車掌へ。5年4カ月乗務員を務めたのち、管理者の試験に合格して本社に異動する。以降、本社勤務時代の大半を、営業部の旅客サービス課で過ごす。
「そこでは券売機や精算機、自動改札機といった駅務機器の担当を長くやらせてもらいました。私が配属された当時は、パスネットをこれから導入しようという時期で、その後はICカードへの対応です。社内はもちろん、メーカーさんや同業他社とも話をしながらプロジェクトを進められたことはいい経験でした」(椎木管区長)
とうきょうスカイツリー“初代”駅長も経験
2011年4月には久しぶりに現場に戻り、業平橋駅の駅長に。「とうきょうスカイツリー駅」への改称を経験した。その後、新越谷駅や和光市駅、足利駅などを経て、20年4月に本社のお客様サービス課へ。ここでは、コロナ対応の最前線を担当することになった。
「お客さまが減って収入が激減したので、とにかくコストカットが求められました。もちろん安全確保は絶対ですが、清掃の頻度を減らす、昼間は券売機のうち1台を止める。そういう小さなことの積み重ね。発注先の関連会社にも頭を下げましたし、現場の職員からは恨まれたかもしれませんね」(椎木管区長)

