当時、羽生さんに向けられた声を思い出すと、“人間離れした妖精”から、急に世俗的になったかのようなギャップに驚く声が少なくなかった。そして、大谷選手と同様に「国民の関心事=報道価値がある」として、多くのメディアが飛びついた。その先にあったのが、悲しい結末だったのだ。
「アイドルはトイレに行かない」神話が終わった先に
おそらく国民には、結婚報道に至るまで、ある種の幻想があった。つまりは「人間・羽生結弦」ではなく、アスリートもしくはパフォーマーとして見ていたのだ。それは当然、素顔ではなく、意図して着飾った姿なわけだが、それを羽生さんの本質だと錯覚していたのではないか。
かつて「アイドルはトイレに行かない」という“都市伝説”があった。それだけアイドルは純真無垢な存在であり、そこから外れた者は売れないということだったのだろう。事務所サイドもイメージが損なわれないよう、徹底して管理していた。
しかし、アイドルの基準が“ファンから神格化される存在”から、“ファンが成長に介入できる身近な存在”へと移り変わるにつれて、価値観も変化。今では「1980年代なら一発アウト」と思われる事案でも、一定の謹慎期間を終えれば復帰でき、また高みを目指すことができる。
もしかするとスポーツ選手も、このように“育ててもらう身近な存在”になるタイミングが来ているのかもしれない。ただ、大谷選手や羽生さんのような一流アスリートは、トップアイドルとは比にならないスケールであることは忘れてはならない。

