益次郎は、蘭学によって得た人体の解剖について、患者に説明するものの、あまり関心を持ってもらえない。
村の患者からすれば、そんな難しい話よりも、自分の症状について共感してもらったり、たわいもない雑談をしたかったりするものだが、益次郎はそうしたコミュニケーションがとれなかった。
患者から「お暑うございます」と話しかけられても、益次郎は無愛想に「夏は暑いのが当たり前です」というのみ、最も機嫌がよいときの返事が「そうです」だったというから、患者もさぞ味気なかっただろう。
患者の足が次第に遠のいていき、医院に閑古鳥が鳴くようになると、益次郎は現実逃避をするかのように、趣味で西洋の兵書を読み漁るようになった。医院は3年で廃業することになるが、兵法学者としての道を切り拓くことになる。
益次郎は、第2次長州征伐や戊辰戦争において卓越した指揮を行い、明治維新に貢献。「維新の十傑」にも数えられるようになるのだから、人生はわからないものである。
イギリスにも同じように、開業したものの患者が全く来ないという、開業医がいた。彼の名はコナン・ドイル。暇な時間に小説を書き、1887年に初めて小説を発表すると、それが「シャーロック・ホームズ」シリーズの始まりとなった。

