合格はしたものの、家計の問題は何も解決していなかった。私立は最初から論外、地方国立も下宿代がかかる。「自宅から通える国公立」という条件で、選択肢は名古屋大学の一択だった。
しかも、入学手続きの段階に来てなお、彼は「奨学金」という制度をよく知らなかった。家族にも近所にも、奨学金で大学に通った人間がいなかったからである。「奨学金というシステムが自分と地続き」だと気づいたのは、大学入学後に友人との会話で詳細を知ってからだった。
まったく予期せぬ形で経済的な苦境を覆したのが、一件の交通事故である。本人がのちに書き残しているところによれば、大学在学中に事故に巻き込まれて怪我を負い、その慰謝料として受け取った金額が、結果的に大学4年分の授業料プラスアルファの額になった。
本人はこの偶然を、はっきりと幸運として語る。
「慰謝料はすぐに母親に全額預けました。学費、生活費、家業の資金繰りに充てられて、本当に助かった」
シートベルトをしていたおかげで大事にならずに済んだが、事故そのものは下手すれば命にかかわる深刻なものだった。しかし、痛い思いと引き換えに、家計の最大の懸念が一気に消えたのも事実である。
結果として、彼は奨学金に頼ることなく、家業を手伝いつつ、アルバイトで生活費などをまかなって4年間をしのぎ切った。
大学では、高校から続けていたバスケットボールをサークルで続けた。そのコート上で、高校時代に同じバスケ部だった女の子と再会する。のちに、その人と結婚することになる。
日経新聞の記者として20年以上を過ごす
1995年、高井さんは日本経済新聞社に入社する。記者・デスクとしてマーケット、資産運用、国際ニュースなどを長く担当し、経済記者として30年近い経験を積んだ。2016年からは2年間ロンドンに駐在し、イギリスの欧州連合(EU)離脱という歴史的出来事を間近で取材した。
世間的なキャリアとしては、ここまでで十分に「成功したエリートサラリーマン」である。中学時代の彼を知る誰かが見れば、ほとんど別人の物語に見えただろう。

