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それでも勉強自体はできた。学校のテストの成績はつねに上のほうにいた。「やればできる」タイプの子どもだった、というのが当時の周囲の見立てだった。
頭がよかった一方で、「いずれ大学に進む」とは微塵も思っていなかったという。家族にも近所にも、大学進学というルートを語ってくれる大人がいない少年にとって、「多少勉強ができることなんて、たいした価値はない」と考えていたそうだ。
「俺より成績いいのに、普通科にしないの?」
中学3年の進路面談の頃、高井さんは迷うことなく、自宅から自転車で10分弱の地元の工業高校への進学を決めていた。仲のいい友達が大勢そこに行くことが分かっていたし、兄たちと同じように高校を出たら働くつもりだった。
進路を変えたきっかけは、ある日の何気ない雑談の中にあった。同じく面談を控えていた友人の一人が、ふと、こう言ったのだ。
「高井っちゃん、俺より成績いいのに、普通科にしないの? 大学行かないの?」
このひとことに、彼は混乱した。どうやら自分には普通科に進んで、大学に行くという選択肢があるらしい。自分の成績なら、それが視野に入るらしい。高井さんはこの会話の際の戸惑いをこう振り返る。
「大学? 大学ってなんだよ? 俺が大学行って、どうするんだよ、って気分でした」
友人や中学校の先生たちに相談して「大学進学」という選択肢に気付いた少年は、両親に告げる。
「俺、普通科行って、んで、名大行くわ」
担任もまた、軽い調子で背中を押した。「お前、やれば勉強得意だろうから、大丈夫だろ」。たったそれだけの会話で、彼の人生は、180度違う方向に切り替わった。
中学3年の冬、パチンコ店のネオン工事を、元日以外はほぼ毎日手伝わされていた。たまたま受注した「現場」の納期が厳しく、受験勉強より家業を優先せざるを得なかった。
それでも限られた時間に居間のちゃぶ台で参考書を広げた。小中高を通じて、勉強机というものを一度も持たず、塾にも通わなかった彼だが、地元の進学校を経て、本当に名古屋大学法学部に現役で合格する。

