窮状を知った1期生たちは、静かに立ち上がった。
「それなら、僕たちでこの場所を盛り上げよう」
「矢澤さん、知り合いにもここを紹介しとくからね」
大企業で培ってきた人脈もあったからか、彼らは自ら講師陣を連れてきた。さらには、奈良市内にある帝塚山大学の元学長を、シニア大学の学長として迎え入れることにも尽力してくれた。運営側が一方的にお膳立てするのではなく、学生たちが自らの手で「自分たちの大学」を作り上げていったのだ。
無給で働き続けた矢先の寄付
口コミで入学者は増え続け、運営開始から10年で4校、約350人の学生を抱える規模へと成長した。その結果、毎年なんとか黒字を出せるように。しかし、設立初期に抱えた累積赤字は、約800万円残っていた。
借金を返済すべく、矢澤さん自身はシニア大学からは10年間、報酬を一切取らずに無給で働き続けていた。並行して経営していたパーソナルトレーニングジムや福祉事業の会社から生活費を捻出してきたのだ。
コロナ禍では運営ができず、資金源が完全にストップし、身動きが取れなくなった。学生や雇うスタッフが増え、規模が大きくなる一方で、経営は綱渡りの状態が続いていた。そこへ追い打ちをかけるような大打撃だった。
すると、在籍していた100名以上の学生らが「学校を存続させてくれ」と、コロナ禍で国から支給された1人10万円の特別定額給付金を次々と寄付してくれた。
昨年夏、副校長のような立場で矢澤さんを支え、選択授業も担当していた講師が、突然の事故で亡くなった。葬式の数カ月後、講師の妻は、こう告げた。
「このお金を使って。夫もそれを望んでいるはず」
渡されたのは保険金の一部。続けてこう言われたという。
「『これからは自分のお給料を取りなさい。古い事務所でエアコンもパソコンも買えないって言ってないで、借金もさっさと返しちゃいなさい』と言われました。感謝の思いで、頭が上がりませんでした」
この寄付によって、ついに長年の赤字を全額完済することができた。「学生と先生方に生かされ、助けられた10年間でした」と矢澤さんは振り返る。

