借金を返済し、彼女が次に見据えているのは、「奈良でシニアがさらに活躍できる仕組み」を作ることだ。矢澤さんは、あるエピソードを語った。
それは、奈良シニア大学のボランティア活動の一環で、近隣の保育園にシニア学生を派遣した時のことだ。
そろそろ保育園が終わりに近づく頃、子どもたちがシニア学生の脚に、ぎゅっとしがみついた。
「おじいちゃん、帰らないで!」
そのシニアの男性は「自分の孫にも、こんなふうに求められたことはなかった」と、目を潤ませた。その他の子どもたちも寂しそうな表情で、シニア学生に「また来てね」と抱きついた。その姿を見て、矢澤さんは「社会でシニアが活躍する環境づくりは、絶対に必要だ」と確信したという。
「核家族化で、シニアも子どもたちも触れあう機会が減っています。私が子どもの時は、寺子屋でおじいちゃんおばあちゃんに言い伝えや昔話をよく聞いていました。でも、今の子どもたちはそれを知らない。グローバル時代なのに、日本の文化を知る若者が減っているんです。これからのシニアがつなぐべきは、日本の良さ。それを次世代の若者たちが世界で生かす。私はそれを実現させたいんです」
「人の死に慣れたくない」
矢澤さんの最大の理解者だった母は、今年2月にこの世を去った。7年前に交通事故で意思疎通ができない状態になり、延命治療の末の死だった。
「延命治療は、父の願いでした。するもしないも、後悔したと思うけれど、母には7年もつらい思いをさせたんじゃないかと申し訳ない気持ちです」
誰かの死に向き合った話をするとき、彼女はたびたび赤くはらした目元を拭った。
「人の死に慣れない。慣れたくないんです」
取材の中盤でそう語った矢澤さんの言葉が、ストンと心に落ちた。避けられない死の痛みを抱えながら、目の前のシニアたちの人生を輝かせようと奔走を続ける――。それが、彼女が貫く生き方なのだろう。

