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累積赤字1700万円から黒字化へ——奈良シニア大学代表が貫いた"シニアの居場所"づくり《なぜスクール運営だったのか》

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矢澤実穂さん
奈良シニア大学を立ち上げた矢澤実穂さん(写真:筆者撮影)
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どうにもならない思いを胸に抱える中で、矢澤さんは一つの答えにたどり着く。

「人が死に直面する最後の段階ではなく、もっと前の段階で、シニアが楽しく充実した日々を過ごせる場所をつくりたい」

そうした思いから奈良シニア大学を立ち上げたのだ。けれど、彼女は「死からは、今も逃れられていない」と言う。

「学生の方が病気で亡くなったり、急に来られなくなったりすることもあります。そのたびに向き合い、励まし、折り合いをつけてきました。私が選んだ道は、もう人の死から逃れることはできないなと感じています」

"限界集落"を出てシングルマザーになる

矢澤さんは、三重県の大台ヶ原の麓、同級生が片手で数えられるほどの"限界集落"の中で育った。物心つくと集落の寺に預けられ、寺の中で書道や華道、茶道などを学ぶ日々を送った。

村全体が一つの家族のように手を取り合う環境で、高齢者や障害を持つ人とも自然に触れ合い、ノーマライゼーション(障害の有無や年齢にかかわらず、すべての人々が普通の暮らしができる社会にしようという考え方)の精神を肌で学んだ。

高校卒業後は鳥羽水族館のインフォメーションセンターで働いた。その時に出会った人と結婚し、21歳で娘が誕生。だが、子どもが1歳になるころに離婚し、シングルマザーとなった。

その後は子どもを育てるために、必死に働いた。持ち前の明るさを生かし、モーターショーや企業のキャンペーンのモデルなど、人前に立つ仕事に取り組んだ。当時はひっきりなしにそういった仕事があったそうだ。

同じような境遇の仲間たちとともに仕事を回すため、23歳でモデルの人材派遣事業を始める。若きシングルマザーがビジネスの世界に飛び込んだ理由は、至極「自分ごと」であった。

「娘と一緒にいられる時間を少しでも長くとるには『経営』しかない、って思ったんです。その時は住んでいた県営住宅でモデルの子どもも預かり、その間に母親たちが仕事に行けるようにしていました」

ただ、経営については全くの素人だったため、経理は矢澤さんの母親が一手に引き受けた。両親はシングルマザーになった娘を心配し、限界集落から三重県の市街地へ移住。孫の面倒を見ながら、矢澤さんの仕事のサポートを買って出たのだ。

矢澤実穂さん(写真:筆者撮影)
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