29歳のとき、大阪時代に出会った島根県出身の裕子さんと結婚した。裕子さんは結婚以来ずっと家業を支える。今も、日本でただ1軒の手漉和紙工房を陰で支え続けてくれている。
何も教えてくれない、父親
家業に入った上田さんは、一から和紙づくりを学んだ。だが、上田さんが家業に入ることを切望していたはずの父親は、仕事を一切教えてくれなかった。
「背中を見ながら覚えていくしかありませんでした。職人技なので、口では説明できないと言われました。父のやり方をまねしながら、まずは自分でやってみるしかないんです」
はたから見ていると、同じようなやり方で紙を漉いているように見える。だが、自分でやるとなると難しい。和紙の厚さが均一にならない。力の入れ具合。ゆすり具合。どれ一つとってもうまくいかない。
父のまねをして、やっとうまくできるようになった。けれど、1日中、同じ品質の和紙を漉き続けないとならないのだ。自分なりのやり方でないと持続できない。
「自分でつまずくから、やっとわかる」
それが職人技というものだと、初めて理解した。
最近では、ベンガラという顔料を入れた色付きの和紙を作っている。最初、原料にベンガラを入れてもなかなか綺麗に染まらなかった。なぜかわからないままに、試行錯誤を繰り返した。あるとき、気づく。定着剤を入れる温度が重要だということに。
「誰かに教えてもらえば、すぐにわかることだと思います。でも、自分でつまずいて、何度も繰り返しやってみるからこそ、体に感覚が染み付くんです」
和紙を作り続けて35年。上田さんは、まだ「未完成」だという。
「私が目指している和紙づくりには、まだ到達していません。難しいのは、一枚の和紙を、偏りなく均等な厚さで漉くこと。1日中、均等な厚さで漉き続けられることが目標です」

