父親が2024年3月に亡くなり、経営面や対外的な仕事を担うようになった上田さんは、そこで初めて気づく。
「非常に多くの方に応援されていることを、実感するようになりました」
山深い横野地区で約35年間、来る日も来る日も和紙を漉き続けてきた。父親が亡くなり、岡山県の関係者や業界の職人、いろんな人と会うことで賞の重みをずっしりと感じたという。
「父がいる間は、父が外に出て人と会い、私は工房で和紙を作るだけでしたから。今は、経営面も製造も1人で担っているので、なかなか大変です」
何の疑いもなく、後を継ぐものだと思い育った
1965年、上田さんは3人兄弟の長男として岡山県津山市に生まれた。当時は、近所に手漉和紙工房が6軒ほどあったという。地元で高校までを過ごした上田さんは、物静かで、野球が好きな子どもだった。幼い頃から、「何の疑いもなく、長男だから後を継ぐんだろう」と思って育った。
「学力が相応だった」という地元の商業高校を卒業すると、大阪の製本会社に就職した。父親には、「後を継ぐから、1度は県外に出てみたい」と説得した。紙に関わる会社だったので父親は承諾してくれたという。
大阪の梅田に本社がある約300人規模の会社で、営業に従事した上田さん。
「設計事務所やコンサルタント会社に資料を製本して販売するような仕事でした。仕事では毎日、紙に触れていました。今でも、A4やA3などの紙のサイズは感覚でわかります。大阪は地元よりも都会ですし、週末はドライブに行ったりして。若かったし、楽しかったですね」
仕事も大阪の暮らしも充実していた。だが、25歳のときに父親から「そろそろ」と声がかかり、迷わず荷物をまとめた。
「家業に入ってから、父がこう言っているのを聞きました。『長男が自然に後を継ぐ方向へと仕向けた。成功した』と。その言葉を聞いても、幼い頃から何も疑うことなく家業を継ぐつもりでいたので、『あ、そうだったのか』くらいにしか思いませんでしたね」

