ところが、RTAというゲームには、一つだけ恐ろしい特徴があります。それは、「一度大きなミスをしたら、もうそのランは終わりにせざるをえない」という性質です。タイムが伸びてしまったら、その走り自体に意味がなくなってしまうため、走者は途中で記録を諦め、最初からやり直すしかなくなります。
Nさんが人生の中で初めて経験した「不合格」は、まさにこの構造を頭の中で再生してしまいました。「もうこのランは終わってしまった。最初からやり直すこともできない。だからゲーム自体が終わったのだ」と。
実際には、人生はRTAではありません。途中で立ち止まっても、ルートを外れても、寄り道してもいい。再走の必要はなく、そのまま続きを歩いていけるはずです。しかし、ずっと年表通りに走ってきたNさんにとって、「年表からズレた自分」を受け入れることが、どうしてもできなかったのです。
これは、完璧主義のなかでもとりわけ厳しいタイプだと、僕は感じています。Mさんは「次のレースが永遠に続く」ことに疲れてしまいましたが、Nさんは「一度のミスでレースそのものが終わる」と思い込んでしまった。どちらも完璧主義の系譜にあるものですが、苦しみ方の構造はまったく違うのです。
「年表」ではなく「地図」として人生を見直す
Nさんのような苦しみは、特に「浪人もせず、中学受験から東大入試まですべて勝ってきた」という、いわば「全勝記録」を持つ学生に多いと、僕は感じています。一度も負けたことがないからこそ、初めての負けが致命的な意味を持ってしまう。「負けても次がある」という体験を、人生のどこかで蓄積する機会がなかったのです。
ここで強調しておきたいのは、これは決してNさん個人の弱さの話ではない、ということです。むしろ、「年表通りに勝ち続けることが正しい」という、子どもの頃から繰り返し刷り込まれてきたメッセージが、Nさんの内側に「人生はRTAである」という地図を作り上げてしまった、ということなのだと思います。
お子さんが「全勝」で走り続けてしまっているとき、それは喜ばしいことであると同時に、どこかで一度小さな失敗を経験させてあげる機会を、意識して残してあげてほしいということです。負けたことのない子ほど、最初の負けで深く沈み込みます。「失敗しても、人生は続いていく」という体験こそが、お子さんを将来の『成功者ゆえの不幸』から守ってくれる、最も確かなお守りになるのだと、僕は感じています。


