だがそんなことは誰も気にしなかった。株価は公開初日で倍になり、時価評価額は23億ドルに達した。インターネットはもはや研究ネットワークではなく、投資の対象になったのだった。
それ以前からベンチャーキャピタルはシリコンバレーに資金を投じており、派手なIPOは特に珍しいわけではなかった。1980年のアップルのIPOは、1956年のフォード以来最大のものだった。しかしインターネットをめぐる熱狂は、シリコンバレーの歴史のなかで何よりも凄まじいものだった。
インターネットが約束したのは新製品だけではない。新たな市場と、新たな生活様式そのものだ。金利の低下と1993年以降の力強い経済成長によって資本が潤沢になっていたなか、オンライン証券の登場は個人投資家を大挙して呼び寄せた。何百万人ものアメリカ人がテクノロジー株へと殺到し、バブルを膨らませていった。そのバブルを支えたのは、「インターネットがすべてを変える」という、たったひとつの魅惑的な前提だった。
「物語」による資金集めとカリスマ化する起業家たち
この時期、マスクもドットコム・バブルというゴールドラッシュに加わり、ネットスケープのIPOから3カ月後に最初の会社を設立した。Zip2社は、ベイエリアの店舗リストを網羅し、転経路案内まで提供するウェブサイトとしてスタートした。
マスクたちはウェブサイト用のデータとして2つのソースをつなぎ合わせた。ひとつ目は、購入した地元の店舗リストのデータベース。そして2つ目は、ナビゲーション・テクノロジーズから入手したデジタル地図だ。同社は、国防総省が構築した24基のGPS衛星コンステレーション(人工衛星群)に依拠したサービスだった。GPSも、インターネットが民営化されたのと同じ1995年4月に全面運用が始まっている。
インターネットと同じく、GPSも国家が作ったものだ。しかしインターネットと違い、GPSは米軍の統制下にとどまり続けた。マスクと弟はナビゲーション・テクノロジーズを説得し、Zip2が利益を出すまで地図を無償で使わせてもらえたのだった。
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【プラットフォーム時代の到来】
