だからこそ、日比谷音楽祭から問いかけたい。
「僕はそこに対して、真正面から社会の仕組みとして問いかけていきたい。それを、日比谷音楽祭からやっていきたいと思っています」
「いい音楽を作る」から、社会に返す仕事へ
日比谷音楽祭を続ける中で、亀田自身の仕事観も変わってきた。
かつては「いい音楽を作れればいい」と思っていた。
ヒット曲にも恵まれ、多くのアーティストと仕事をし、音楽の現場で経験を重ねてきた。
だが、50代、60代になり、問いは少し変わってきたという。
「どう社会に返していくのか。孫もできて、これから自分は社会に何を手渡していくのか。その大きな出口のひとつが、普段の音楽制作活動であり、日比谷音楽祭はその象徴になっています」
もちろん、思い描いた通りに進むことばかりではない。
「理想の自分には、まだまだ程遠いです。思い描いたことができない、うまくいかないということもたくさんあります。でも僕は、それをあえて『伸びしろ』と捉えるようにしています」
コロナ禍、物価高、世界情勢の揺らぎ。
計画通りに進まないことは、何度もあった。
それでも亀田は、チームで考え、企業と話し、その都度、次の形を探してきた。
「これは、AIに聞いても答えは出してくれないんですよ。人と人とのつながりやリレーションの中で、どう改善していくか。そこを、日比谷音楽祭を通じて学んでいる感じがあります」
「妻にはいつも、『あなた、毎日、 日比谷大学に通っているみたいね』と言われるんです。本当に、僕自身が学び続けている場所なんです」
「いい音楽を作る」だけではなく、その音楽をどう社会に返していくのか。
亀田誠治は今も、その問いを抱えながら、日比谷音楽祭という“学校” で学び続けている。
