著作権意識の低さは、政治の場面で時折話題になる。しかし今回筆者が疑問を呈したいのは、「既存コンテンツに乗っかる安易さ」が、政治の世界に適していないのではという点だ。むしろこちらが、最大の問題ではないだろうか。
『スイミー』に話を戻すと、冒頭に述べたように「巨大権力と立ち向かう象徴」として、非常に使い勝手がいい作品だ。これまでも、新たに登場した政治勢力が、自らをスイミーになぞらえたケースはあった。
例えば、2025年の参院選では、毎日小学生新聞が行った「あなたの政党を『海の生物』に例えるなら?」とのアンケートに対して、参政党が「スイミー」、れいわ新選組が「スイミーとその仲間たち」と回答していた。
今回の炎上事案では、参政党側は関与を否定している。ただ、その前段として「党みずからが、スイミーになぞらえていた」という過去があることは、しっかり記憶しておく必要があるだろう。先に紹介した声明も、あくまで画像制作や拡散には携わっていないという表明にすぎない。
一方で、権利面で言えば、『スイミー』は1963年に出版された絵本で、レオニさんの死去も1999年だ。多くの国では現在、著作権が保たれる期間を「著作者の死後70年」と位置づけている。その点からすれば、安易に引き合いに出すのはうかつなのではと言わざるを得ないだろう。
新興政党に必要なのは「借り物ではない自分の言葉」
さらに、著者が考える一番の問題は、「これらの回答が、他者が築き上げてきたイメージに“タダ乗り”しているにすぎないのではないか」という点だ。はっきり言えば、オリジナリティを放棄しているように思えてしまうのだ。
そもそも「既存コンテンツに乗っかる安易な姿勢」は、政治の世界に適していない。未開の道を切り開き、その船頭となりたいのであれば、その表現もまた独自性があってしかるべきだろう。政治家に求められるものは、新しい社会像や価値観を提示する姿だ。
そう考えると、「初の女性首相」という新たな象徴性を背負った高市早苗氏に国民の関心が集まったのも、既存の政治家像とは異なる新しさへの期待があったからではないか。新興政党であればなおさら、既存の枠組みでは語れない未来像を、自らの言葉で示すことが求められるはずだ。
まさに“巨大政党”が新たなストーリーを築いているのに対して、新興政党が“ありもの”で立ち向かっても、そこには限度がある。
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