頭を悩ませたのは機械だけではない。兄に代わって急に寿湯を仕切りはじめたことで、長年勤めるメンバーとぶつかることもあった。機械と組織、両方の問題を同時に抱え、銭湯経営の厳しさを身をもって思い知らされた。
父から継いだ「自分で直せるものは直す」という流儀
苦境のなかで亮三さんの脳裏に浮かんだのは、父の「自分で直せるものは直す」という姿勢だった。
銭湯の機械は古く、説明書もなければ製造が終了している部品も多い。業者を呼べば修理費がかさみ、到着を待つ間は営業を止めることになる。だからこそ「自分で直せるものは直す」技術が経営の生命線になるのだ。
電気工事士の資格をもつ次男・雄三さんの力も借りながら、亮三さんは失敗を重ねつつも着実に修繕の技術を身につけていった。
寿湯を継いで約3年が経ったある日のこと。家族旅行中にスタッフから「お湯から泡が出てきた!」と電話が入った。旅先からとんぼ返りすると、殺菌剤の過剰投入による循環ろ過装置の故障だと判明。だがその頃には、電話で状況を聞いただけで原因の見当がつくようになっていた。
「まずは可能性が高いものから潰していく。今ではそんな感じで見つけますね」
現在は故障の80%は原因がわかり、壊れる予兆も読めるという。壊れる前に応急処置を施し、あらかじめ新しい部品を用意しておく。銭湯経営には「いつなにが壊れるかわからない」という恐怖がつきまとう。だからこそ亮三さんは、小さな異変を見逃さないよう常に緊張感をもって現場に立っている。
スタッフとの関係にも正面から向き合った。
「なるべく自分も現場に出るようにしてました。朝も夜も出て、実際に働くことでみんなに認めてもらう。やっぱり結果を出していかないと」
言葉ではなく行動で示す。元プロボクサーらしいやり方だ。取材中、亮三さんはスタッフとの摩擦について多くを語らなかった。だが開店前の浴室には、ピンと張り詰めた緊張感があった。スタッフ全員が無駄口ひとつなく、黙々と浴槽を磨き上げていく。その真剣さこそが、亮三さんが「結果を出す」と語った日々の、ひとつの答えなのだろう。
継いだ直後、一度は揺らいだ寿湯の経営。
だが現在、1日平均600〜700人が訪れる人気店として息を吹き返している。
一方で、東京都内では月に1〜2軒のペースで銭湯が消え続けている。物価統制令で入浴料に上限があり、燃料費は高騰し、設備は古く、修繕費は数百万から数千万円。新規参入は難しく、後継者も不足している。
四方八方を構造的逆風に囲まれた業界で、なぜ寿湯が人を集め続けているのか。
後編では、亮三さんがたどり着いた経営哲学に迫る。
