極端な例ですが、たとえば交際相手から暴力を受けている人が、「たしかに暴力はあるけれど、私はあの人のことが好きだし、今幸せです」と言うことがあります。
もちろん、幸せには本人の主観が大事です。「自分が幸せだと思うことが幸せなのだ」という面は、たしかにあると思います。
でも、だからといって、それがすべてではないはずです。外から見れば、その人は明らかに不当な環境に置かれ、選択肢を奪われ、視野を狭められているかもしれない。そういう状態まで「本人が幸せと言っているのだから、それでいい」としてしまうのは、僕は違うと思います。
これは教育でも同じです。僕がかつて仕事でお邪魔した学校の中に、地方の偏差値が比較的低い学校がありました。そこでは、親があまり働いていない家庭の子どもが少なくありませんでした。
昔であれば、そうした家庭の子どもは高校に進学しないことも多かったのですが、いまは私立高校無償化もあり、非課税世帯の子どもも高校に通っています。だからこそ、学校にはさまざまな背景を持つ生徒が集まっています。
その中には、「親もあまり働いていないし、別に働かなくてもいいじゃないか」という価値観を、ごく自然に身につけている生徒もいました。その学校の先生たちも必死に向き合っていましたが、学校だけでその価値観を変えていくことの難しさを痛感していました。
令和の今はスマホもあるし、ネットでいくらでも外の世界とつながれる時代です。それでもなお、親や地域の大人がどんな価値観を持っているかは、子どもにとても大きな影響を与えます。
本当にその子にとって幸せなのか
ここで考えなければならないのは、その親や地域の人が「幸せ」だと思っていることが、本当にその子どもにとっても幸せなのか、ということです。もっと言えば、子ども自身が「自分はこのままで幸せだ」と言っていたとしても、その感覚そのものが、周囲の価値観によって形作られている可能性はあるのです。
だから僕は、「今が幸せならそれでいい」「勉強なんてしなくていいし、大学受験なんて本気でやらなくてもいい」という考え方を、全面的に肯定することはできません。それはひとつの考え方としてあっていい。けれど、それだけしかない世界は危ういと思うのです。
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【漫画『ドラゴン桜』にあるこんなシーン】
