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ブルートレインから鈍行まで「夜行列車」の記憶 普通列車にもあった寝台車、「豪華列車」にない旅の郷愁

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網走駅 C58 夜景
夜の網走駅に停車する、C58形蒸気機関車牽引の夜行列車=1973年9月(撮影:南正時)
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かつての夜行列車の旅はそのように、「豪華寝台」とはほど遠い忍耐の旅も多かった。とくにお盆や年末の帰省時期は夜行列車を待つ人々が駅に入りきらず、駅の外にテント村が設けられるほどだった。

かつての上野駅の風景。「青森行」「男鹿行」「福井行」など各地へ向かう夜行列車の札が並び、多くの人が出発を待つ(撮影:南正時)
【写真を見る】国鉄時代の夜行列車寝台車、白熱灯の灯るほの暗い車内

筆者も昭和40年代初頭の年末、東京から武生への帰省時にすさまじい混雑の夜行列車に乗り合わせた記憶がある。夜遅く、とにかく北陸方面への列車に乗ろうと米原駅で待っていると、やってきたのは超満員の急行「日本海」だった。客車はデッキまで満員だったが、ぎゅうぎゅうの車内になんとか乗り込んだ。

何とか洗面所のあたりに落ち着くと、10代の女の子が隅にうずくまっていた。「どこまで行くの」と尋ねると「青森まで」。恐らく集団就職などで関西に来て、帰省する途中だったのだろう。彼女がその後、青森まで座って帰れたか気になるところであった。夜行列車はさまざまな人々の悲喜こもごもの人生を乗せて走っていた。

時刻は0時半過ぎ、静かな夜のホームで発車を待つ急行「だいせん」(左)と普通夜行列車の「山陰」(撮影:南正時)

SLを追って夜行列車の旅

昭和40年代後半になると、筆者は引退間近の蒸気機関車(SL)を追いかけて全国各地を撮影取材に回った。その時の移動手段も夜行列車だった。

EF58形が牽引する急行「津軽」。集団就職などで上京した人々が帰郷の際に利用することから「出世列車」の名でも知られた(撮影:南正時)

当時の取材旅行には、今では姿を消した「周遊券」を使った。周遊券は、目的地のエリアへの往復に特急を利用する場合は特急料金が必要だったが、急行であれば追加料金なしで乗ることができた。SLの撮影取材といえば少なくとも片道、とくに往路は朝に到着してすぐに撮影に入れる夜行列車をよく利用した。東北方面であれば急行「津軽」などである。全国各地のSLを撮影できたのは夜行列車のおかげである。

上野―青森間を東北本線経由で結んだ急行「八甲田」。EF57形が先頭に立つ=1974年11月(撮影:南正時)
【写真を見る】ブルートレインから鈍行まで「夜行列車」の記憶 普通列車にもあった寝台車、「豪華列車」にない旅の郷愁(56枚)

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【急行「大雪5号」の思い出】

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