でも、これは明らかにおかしい。
文部科学省は「支援に際しては、登校という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要がある。(中略)児童生徒や保護者を追い詰めることのないよう配慮しなければならない」と2017年に通知を出しています。上記の小学校や教育委員会の対応は、明らかに登校を目標としていますし、居場所を奪うことで明らかに親子を追いつめています。
今回の小学校や教育委員会の対応が明らかに間違っていることを伝えたうえで、私はその女性に、「出席扱いにはこだわりすぎないほうがいいですよ」とも助言しました。出席扱いが励みになるならもらえばいいと思いますが、それ自体が目的化してしまうと、認められなかったときに、自分たちが否定されたと感じてしまうことがあるからです。
子どもの学びを定義する絶対的権力機関
現行の「出席認定」や「成績評価」という制度は、意図されたものかどうかにかかわらず現実的に「学校」を、“子どもの学びを定義する絶対的権力機関”に仕立て上げてしまっています。「不登校支援」と言っているのにますます学校を権力化する逆説です。
むしろ、出席や成績という“形式”にこだわる社会の空気こそが、子どもたちを追いつめているのではないでしょうか。「学校の言う通りにしなければ、学ぶ者としての君たちの存在は認めない」という脅しですから。
出席認定や成績評価については、家庭と学校の間で齟齬(そご)も増えているのでしょう。どういう条件がそろえば出席認定や成績評価ができるのかについて、2026年4月9日に文部科学省はリーフレットを発表しました。2019年の通知の要点を整理し直したものです。
学校、保護者、該当施設の職員との間に十分な連携がとれていることのほか、学校による直接的で継続的なかかわりが前提条件であり、フリースクールに通っていれば、あるいはオンライン教材を使っていれば、必ず出席認定や成績評価がもらえるわけではないのです。
オンライン教材での学びであれ、家庭的なフリースクールでの学びであれ、農村体験を通しての学びであれ、どれも学びとして認められるべきだと私は思います。ですが、出席日数が少なくても、成績がついていなくても、小中学校を卒業することはできます。
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【出席至上主義の社会が生み出すリスク】
