遊びという言葉とは裏腹に、業界全体の課題は旭さんにのしかかっている。織物工房は50前後まで数を減らし、職人の平均年齢は80歳を超えている。いくら遠州綿紬が海外で売れても、肝心の工房と作る人が途切れてしまえば元も子もない。
その問題に、旭さんはすでに動き始めていた。
「消滅寸前ビジネス」の現在
向かったのは、ぬくもり工房の取引先、小野江織物株式会社の工場だ。
ガシャーン、ガシャーン、ガシャーン……。
刀を鞘から抜くときのような摩擦音が、重なりながら右耳と左耳を行ったり来たりする。薄暗い工場内に、年季の入った織機が並び、今まさに機を織っていた。
ヨコ糸を乗せたシャトルが右から左に走ると、「筬(おさ)」と呼ばれる櫛のような板が、ヨコ糸を押し込み整える。すると再びシャトルが左から右に走る。筬が落ちる。これを繰り返すことで、一枚の布が完成するのだ。
今は電動で動いているが、かつては自転車のようにペダルを回すと無数の歯車が連動して織機が動く仕組みになっていたという。
「シャトルに乗せた糸は10分程度で交換しなければなりません」
シャトルが止まると、織機の上に緑のランプが点く。交換の合図だ。
案内してくれた成田さんが慣れた手つきで糸を交換すると、再び織機が動き出した。
ここにある織機はいずれも40~50年前に製造されたもので、昭和後期独特の無骨さとエモさを醸し出している。中にはトヨタ自動車の創業者、豊田佐吉が発明した自動織機もある。
「最新の織機は高速で動くので、丈夫な化繊糸にしか対応できないんです。遠州綿紬のような繊細な布は、もう古い織機でしか織れません」
かといって、繊細な糸を織れる新しい織機を開発しようという動きはない。織るスピードを遅くしなければならないため、生産効率が悪いのだ。
さらに古い織機の部品は、一つひとつ鋳物で作られている。その鋳鉄部品を溶接できる工房は、浜松には1か所しか残っていないという。
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【次の20年のために進めていること】
