「浜松には、こんなに歴史の深い織物があるんです。僕はこれをもう一度復活させたい。僕がやらなきゃ、消えてしまうんです!」
強い想いを抱え、けれど未来が見えなかったぬくもり工房。旭さんにあったのは、唯一、外に出て人に会い続ける行動力だけだった。
百貨店の片隅で、運命の一冊を手渡された
旭さんに会社設立当初のビジネスプランを聞くと、即座に「ありません」という答えが返ってきた。
「ただ、僕は外に出て人に会うのが好きなんです。経営者や職人さん、いろんな人に相談しているうちに、どんどん仲間が増えていきました」
2006年の設立当時、売り上げは楽天市場での生地の通販事業に支えられていた。月額300万から400万円程度。これがあれば、すぐに倒産することもない。当時社員は旭さん1人、あとは商品を梱包・発送するパート社員が2名いるだけだった。そこからどう人脈を広げていったのか。
「最初にやったのは、フリーマーケットへの出店でした。昔、浜松駅の近くにイトーヨーカドーがあって、その屋上駐車場で定期的にハンドメイドのマーケットが開かれていたんです。まずはそこに商品を持ち込みました」
当初はただ参加できるイベントを探しては、出店していた。1日中店先に立っても、売り上げは3万から5万円程度と多くはない。ところが、若い人には目新しい遠州綿紬の布は目を引き、縁を引き寄せてくれた。
浜松市で最も大きなデパートである遠鉄百貨店の関係者に声を掛けられ、特設売り場に出店することになったのだ。
旭さんは反物と遠州綿紬で作ったエコバックを持ち、遠鉄百貨店の特設売り場へ。織物問屋らしく着物を着て接客し、初出店の1週間で40万円ほど売り上げた。
そして、そこで出会った1人のバイヤーによって、遠州綿紬の事業は、小さな問屋から産業を担うビジネスへと引き上げられていく。
「大高ちゃん、中川政七商店って知ってる? 知らないなら、この本読んでみなよ」
彼に渡されたのは、奈良の工芸品製造中川政七商店を復活させた中川淳氏の著書。300年以上の歴史を持つ家業を継ぎ、13年で売り上げを10倍に伸ばした中川淳氏が、自分の目指す姿と重なった。
「中川さんの本を読んで、ブランディングの大切さを知りました。そのころから小物類を売り出し始めていたので、うなぎパイに負けない浜松土産として打ち出していくことが、テーマになりました」
もともと遠州綿紬は、この地の農家が野良着として着用していた庶民の布。その歴史を引き継ぎ、現代の暮らしの中に根付いた商品を作ろう――。
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【最大のチャンス「サービスエリアへの出店」】
