常盤氏は「残っていただけるテナントさんはもちろん大切にしなければなりませんが、アウトレット形態にするつもりは一切ありませんでした」という。また地域密着型へ転換した理由について、田山氏は次のように話す。
「大手資本による広域型アウトレットは安定的に運営されています。しかしこの規模・立地・商圏において、広域集客型モデルをそのまま当てはめるのは難しかったのではないかと感じました。週末や祝日は一定の集客がある一方で、平日は極端に少なく、経営が不安定だったんです。そこで地域の人が日常的に使って、その上に観光が乗る場所にしようと発想を転換しました。
外部のプロの手も借りながらスーパーやドラッグストア、100円ショップなど日常利用のテナントを誘致したことで、平日でも地元客が来店し、駐車場が埋まるようになりました」
チャレンジ精神で取り組んできた
だが、失敗したモールの運営は容易ではなかった。まず17年に同社が施設を引き継いだ時点で、半分ほどが空き区画となっていた。前運営時代に、各テナントから一時的に預かっている売上返還が遅延する事態が頻発し、不安を感じたテナントが次々に撤退してしまっていたのだ。
引き継いだ直後も、前運営時代の経営の混乱で体力を消耗した地元の小規模事業者や、自社のイメージ悪化を懸念した大手ナショナルブランドの退店が相次いだ。
震災による建物の被害を前運営会社が十分に修繕していなかったために、想定外の修繕にも追われることに。数年後にはコロナ禍が訪れ、イベントの中止を余儀なくされるなど苦難が続いた。
決して平坦な道ではなかった「大洗シーサイドステーション」が今日まで営業を続けられているのは、同社がチャレンジ精神を持って運営に取り組んできたからだ。社長の常盤氏は次のように話す。
「弊社にとってデベロッパー事業は、今でも未経験で足りない部分がたくさんあると思っています。創業して最初に大洗まいわい市場をオープンしたときも、物産直売所の経験がないなかで県や町、観光協会、商工会に知恵をいただきながらチャレンジしてきたんです。
私が好きな言葉に、『うまくいくわけがない。そこにあえて挑むのが、まいわい市場なのだと思う』というものがあります。うまくいかなくてもまずはやってみようという気持ちでこれまで取り組んできました」
次ページが続きます:
【よそ者がキーマンに】
