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日米安保条約を「相互防衛条約」に変えれば、対等な日米関係になるか/同盟の全貌を把握できず、対等を実現できない実態

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保守政治家を自認する高市早苗首相だが、日米同盟に関する考え方はかつての保守指導者から変質しているようだ(写真:Eric Lee/The New York Times)

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アメリカとイスラエルによるイラン攻撃に対して、北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるスペインやフランス、イタリアなどが批判している。同時にこれらの国では米軍やイスラエル軍に自国の基地使用や領空通過を認めない対応をとり、アメリカの同盟国である日本でも注目が集まった。

各地の在日米軍基地からは米軍が次々と中東に向けて出撃、イラン攻撃に加わっている。日米の事前協議はないが、日本政府は「日米安全保障(安保)条約上、問題ない」との認識を示すにとどまる。

なぜ同じアメリカの同盟国でも、NATO加盟国は米軍の基地使用を拒否できて、日本はできないのか。こうした疑問に対し、「NATOとは違い、安保条約が相互防衛条約ではないからだ」という主張がある。

戦後日本の保守指導者たちは実際、安保条約を対等な相互防衛条約に改定することを目指してきた。彼らの軍備増強や憲法改正の主張は、対等な日米同盟への志向と結びついている。

問題は、1990年代後半から、対等な日米同盟を目指す保守政治家・研究者の議論がそれ以前とは変質したことだ。岸信介などの自民党政治家たちにとって、相互防衛条約の実現と在日米軍の撤退はセットだった。だが、岸の孫である安倍晋三など戦後生まれの政治家は、憲法改正によって集団的自衛権を全面的に行使できるようにし、アメリカとともに血を流すこと自体が対等な同盟の実現だと考えるようになった。

結論からいえば、日米両国がともに戦う相互防衛条約が実現しても、対等な日米同盟は実現しない。それはなぜなのか本稿で解説する。

戦後保守の系譜、「独立の完成」

戦後の占領期から約7年も首相を務めた吉田茂にとって、講和条約による独立の回復と、米軍の日本駐留を認める安保条約は「全く不可分の関係のもの」だった。他方、55年に保守合同で自民党をつくった岸信介は、吉田が「占領下の政治」に甘んじており、自主制定憲法と自主防衛によって初めて日本は「独立の完成」を実現できると考えた。

とはいえ、50年代の保守指導者たちには、安保条約は一時的な取り決めだという共通認識があった。日本の防衛力が整備されれば、駐軍協定にすぎない安保条約を日米相互防衛条約へと改定し、米軍を撤退させられる、というのが当時の保守の考えだった。

60年代後半になると、岸の実弟である佐藤栄作などの指導者たちは、安保堅持路線に変わる。西側第2位の経済大国となった日本は、軍事大国にはならないことをアメリカやアジア諸国に対して強調する必要があった。

ただ、佐藤も、本土の米軍基地の整理統合や沖縄の施政権返還を実現するなど、岸同様に「独立の完成」を追求する。佐藤派を割って次の首相になった田中角栄も、復帰後の沖縄の米軍基地縮小をアメリカ側に働きかけている。

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