ネットワークビジネスは経済的リスクを伴う。
だが一方で、都会で孤立しがちな若者にとって、強い帰属意識を与える“居場所”として機能してしまう側面もあるのかもしれない。
実際、当時の団体メンバーの多くも地方出身者だったという。
派閥争いが激化し、仲間たちと逃げ出す
しかし、その「居場所」も、やがて変質していった。
かつては数千人規模を誇った団体だったが、年々メンバーは減少していったという。だが幹部たちは、その実態を直視しようとはしなかった。
「明らかに人数は減っているのに、あたかも順調かのように振るまっていました」
数字をごまかし、成功を強調する発信が増えていく。言動にも、違和感が募った。
「なんか、おかしいなって思うことが増えていきました」
内部では派閥争いも起きていた。誰の傘下に入るのか、どのグループにつくのか。かつて“部活のような連帯感”と感じていた空気は、次第に緊張感へと変わっていった。
そして、ある時点で「限界」が訪れる。遠藤さんは身近な仲間たちと話し合い、決断した。
「逃げることにしました。本当は、5年を過ぎたあたりから、もう学べるものは学びきったという確信があったんです。でも、世間知らずだった私を育ててくれた感謝もあって、なかなか自分から辞めるとは言い出せなかった。内部も相当ギスギスしていて、限界だったんです」
そうして一斉に逃げ出すことになったのだが、それで終わりではなかった。
逃げ出した仲間たちと、新しいビジネスコミュニティを発足させることになったのだ。月額会費は5万円。当然のように、遠藤さんはそこにも所属した。
経営について学ぶためではない。仲間たちと一緒にいる「居場所」のためにだ。そこは約4年続いた。
かつてのような閉鎖性ではなく、より柔軟な関係性を模索したという。最終的には、それぞれが次の道へ進むため、発展的な解散となった。
この4年の間に、遠藤さんは人生の大きな転機を迎えることになる。
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【14歳年下と結婚、父親からの驚く提案】
