DXによって業務は効率化されても、セオリーは再構築されていない。むしろ、暗黙のセオリーがデータに置き換えられる過程で失われている場合すらある。
ストーリーよりセオリー
では、セオリーはどのように形成されるのか。ここで重要なのがリーダーの役割である。リーダーシップとは、抽象的なカリスマ性ではない。
セオリーを組織に持ち込み、それを浸透させる能力である。
この点を象徴的に示すのが、清宮克幸氏の実践である。彼は早稲田大学ラグビー部を再建し、日本一へと導いた。その際に彼が行ったことは明確である。戦術を教えたのではない。「考え方」を教えたのである。つまり、
・なぜそのプレーを選択するのか
・なぜその判断が正しいのか
というセオリーを、徹底的に共有したのである。だから選手は、自ら判断し、状況が変わっても対応できる。
チームが強くなるのは、才能があるからではない。
セオリーが共有されているからである。
経営においては、「戦略はストーリーである」と言われることが多い。確かに、仮説としてのストーリーは重要である。
しかし現実には、ストーリーどおりに進むことはほとんどない。プランAが失敗し、プランBやCに移行するのは日常茶飯事である。ここで問われるのは、ストーリーの巧みさではない。どのような状況でも意思決定を支えるセオリーがあるかどうかである。
ラグビーの試合においても同様だ。どれほど優れたゲームプランがあっても、現場では想定外の状況が連続する。そのとき機能するのは、ストーリーではなくセオリーである。
・ストーリーはセオリーの上にしか成立しない。
変化の激しい時代において、企業は何をすべきか。問うべきは、「何を変えるか」ではない。
「何を変えてはならないか」である。
変化に適応するために必要なのは、変化そのものではなく、「変わらない基盤」への確信である。その基盤こそが、セオリーである。
セオリーなき効率化は、空洞化である。セオリーなき戦略は、ただの物語である。そして、
セオリーのない企業や個人は、必ず滅ぶ。
