「もう仕事は持ってこないで」絶頂期に去ったキャメロン・ディアス(53)が"11年の空白"を経て復帰した事情
復帰作『バック・イン・アクション』はアトランタでの撮影で主演のひとりを務めアクションもあり、決して荷が軽くなかった。しかし、もうひとりの主演ジェイミー・フォックスが重い病気になったため完成が大幅に遅れ、次を考えるまでには時間的余裕があった。いざ配信されると、映画は大ヒット。そんな結果にも気を良くして、無理のない範囲で演技に戻ろうと思ったのではないか。
ただ、『バック・イン・アクション』も、『アウトカム』も、彼女の魅力を存分に発揮する作品とは言い難い。正直なところ、「せっかく戻ってきたのにこれか」とも思ってしまう(レビューサイトRotten Tomatoes の『バック・イン・アクション』の評価はわずか31%)。それでも、彼女を見られるだけでうれしいのだ。
2月にAppleがロサンゼルスで開催したラインナップ発表にディアスが登壇した時も、出席した記者たちからの拍手は絶大だった。スクリーンで見せるかわいさ、ユーモアのセンスはあいかわらずだし、そこから感じられる彼女自身の人柄に、観客も記者たちも好感を持っているからである。
日本でモデルをしていた時期も
ディアスはカリフォルニア州サンディエゴ生まれ、ロサンゼルス近郊ロングビーチ育ち。高校在学中にスカウトされ、モデルデビュー。数カ月の間、東京でも時間を過ごした。
1980年代末から90年代初めにかけて東京で女性誌の編集者だった筆者はよく知っているが、当時、日本で若い海外女性モデルの需要は非常に大きかった。モデル事務所は六本木あたりのアパートを貸し切り、そこに入れ替わりで海外からのモデルを送り込んだものだ。
『ミッション:インポッシブル』3作目でトム・クルーズの恋のお相手に大抜擢されたミシェル・モナハンも、夏休みに日本に行ってモデル活動をすることで学費をすべて自分で払うことができたと語っている。彼女はほぼすべての日本の有名デパートの広告に出たらしい(広告のギャラは雑誌のファッションページに出るより何倍もよい)。
だが、モナハンと違い、意外にもディアスはモデルとしてはあまり売れなかったという。筆者との過去のインタビューで、彼女は「日本にいる間、ほとんどお声がかからず暇だった」と告白している。その頃の日本の企業や雑誌が求めていた「典型的な美」に、はまらなかったのかもしれない。



















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