「石破叩き→高市応援」一斉転向…再生数に魂を売る理念なき"切り抜き職人"と、ショート動画が招く有権者の盲目
以前に『24時間テレビ』(日本テレビ)の歴代テーマを調べたことがありました。最近のテーマは、「愛は地球を救うのか?」(24年)、「明日のために、今日つながろう。」(23年)などどこかふわっとしたものばかりですが、以前は違いました。
「寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!」(1979年)、「アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を!」(89年)といった、具体的で切実な目的のために募金を募っていたのです。
こういった具体的なテーマが消えたのは、80年代の終わり頃です。番組制作の中心にいた人々が、戦争を経験していたかどうかが影響を与えていたのではないかと僕は考えています。
記憶は伝聞になるほど重さが希釈される
かつては、身近に戦争体験者がいたり、戦禍により手足を失った人が実際に街にいたりしました。そうした戦争による痛みを目にしていた時代には、戦争がなぜいけないのかを実感を込めて語ることができたし、受け取る側もそれが偽善だなんて思いもしなかったわけです。
ところが今は、意見だけをコピーして話す人が増えました。SNSでは、相手の顔が見えない分、どれだけの熱量でその言葉を書いているのかもわかりません。記号化された言葉だけがネット上にあふれ、地に足がついた議論ができなくなり、簡単に「偽善だ」と切り捨てられてしまう殺伐とした空気が生まれてしまいました。
丹羽先生は、戦争の惨禍を幼少期に目撃された世代です。特に、子どもの頃の話が印象的でした。「鬼畜米英」「米軍は鬼だ」と聞いていたのに、実際に米兵を見たら、角が生えていなかったので驚いて、母親に「角がなかったよ」と話したそうです。ものすごく実感のある言葉です。



















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