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親の「一緒に遊びなさい」がノーと言えない子を育てる、日本人が知らない「断る力」と「ノーを受け入れる力」とは何か

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子どもたちの遊び
「同意」を幼いうちから学ぶことが、自分や相手の心身を尊重する姿勢につながります(写真:topic_kong/PIXTA)
  • 内田 舞 小児精神科医、ハーバード大学医学部准教授、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長
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また、「ノー」と言われてそれを消化する経験も少なくなるため、1つひとつの「ノー」という返答のインパクトが不必要に大きくなり、実際には「今は一緒に遊びたくない」という言葉でさえも、まるで人格を否定されたように感じてしまうかもしれません。

そういった感情が、相手のノーを受け入れずに、無理やりイエスと言わせたいという支配欲につながる場合もあるでしょう。

だから、「意見を言いなさい」「ディベートをしなさい」と言う前に、まずは「ノー」を受け入れる練習が必要ではないかと思うのです。そして、子どもたちに限らず大人たちにも、自分を尊重する発言をしてもいいということを学んでほしい。

また、他者が自身を尊重する判断をした場合には、それが自分の希望と違っても仕方がない、と自分の希望を手放せる考え方を身につけてほしいと思います。

もちろん、自分の意見がいつでもすべて受け入れられるわけではありません。「ノー」と言うことが許されない場面もあるでしょう。

しかし、「ノー」が受け入れられる場もある。その可能性を信じられる。それだけでも十分な変化だと思うのです。

「自分の心と体は自分のもの」

「イエス」「ノー」をはっきりと伝えるためには、バウンダリー(境界線)という概念を持つことも大切です。

人にはそれぞれ「ここまではいいけれど、ここから先は不快に感じる」という、身体的にも精神的にも守りたい境界線が存在します。

バウンダリーはどのような人間関係にも存在します。友人関係にも恋人・夫婦関係にも、親子関係にもバウンダリーは存在します。

親や教師など大人は、つい子どもたちの言動を制して、自分が正しいと思うことを押し付けてしまいがちですが、子どもの人生は子どものもの、子どもの意見も身体も子どものもの。大人として子どもが引いたバウンダリーを越えてはいけない場面もあるのです。

バウンダリーを他人が越えてきてもいいか、あるいはダメなのか。それを決めるのは体の持ち主であるその人自身です。自分の境界線も、他人の境界線も目には見えませんから、「越えてもいいですか?」と、その都度確認し合うことが大切。

そして、「越えてもいい」といったん同意をしても、「やっぱり違った」「やっぱり嫌になった」と、途中で取り消して断ってもいいのです。これは身体的な関係に限られたものではありません。

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【自分のことは自分で決める】

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