46歳で海外移住→69歳で"イギリス人夫"と死別 それでも日本には帰らず… 73歳女性《ヨーロッパひとり暮らし》のリアル
だが、この頃から夫は変わり始めた。
「何をしても『ありがとう』って言うようになりました。ありがとう、ありがとう、ありがとうって。角が取れるってこういうことなんだなと思いました」
「俺にはもうお前しかいないんだよな」
そう口にするようになったのは、亡くなる2年ほど前だった。
広子さんにも、複雑な感情はあった。
「正直ね、『あたしがいないと動けないでしょ、あなた』って思ってるところはありました」
優しさだけではない。意地もある。長年の鬱憤もある。それでも毎日、車椅子を押した。
1年の闘病、そして“最期の言葉”
亡くなる1年前、肺がんが見つかった。夫は驚くほど冷静だった。
「わかってるよ、っていう感じで。動じなかったですね」
治療は免疫療法を選択した。放射線治療はすでに大量の薬を飲んでいる体には負担が大きすぎると、広子さんが医師に相談して決めた。
通院のたび、看護師に優しく声をかけられるのが嬉しそうだったという。
「どう? 大丈夫? お茶とか欲しい?」といった、いたれりつくせりの対応に、夫は通院を楽しみにすらしていた。
「私はそんなふうに『大丈夫?』なんて言ってなかったから」と広子さんは苦笑する。
それでも、夫は最後まで「大丈夫」と言い続けた。痛みも弱音も、ほとんど口にしなかった。
2022年8月11日。暑い日だった。
夕方、呼吸が苦しいと言い出し、救急車を呼んだ。だが、しばらくすると落ち着いた。「ちょっと早まったかしら」と思うほどだった。
それでも念のため病院へ向かうことにした。救急車に夫を乗せる。自分は帰りの足がなくなるから、車で後を追うことにした。
「じゃあね、あとで行くから」
そう言うと、夫は手を振って一言。
「バーイ」
これが、最後の言葉だった。
病院に着いたときには、すでに意識はなく、肺は機能していなかった。救急車より20分ほど遅れて到着した広子さんに、医師が選択を迫った。延命治療をするか、しないか。
「延命はしないでください。でも、痛みだけは取ってください」
処置のあと、意識は戻らなかった。友人たちが駆けつけたが、もう話すことはできなかった。そのまま、静かに息を引き取った。76歳だった。



















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