「破壊的なかわいさ」「いとおしすぎる」と話題の《小ザル・パンチくん》 爆発的人気を生んだ"敏腕課長の半生"
大学で児童文化関係のサークルに入り、子どもたちと関わる活動をしていた安永さんは、テレビで目にした光景に居ても立っても居られず現地に向かい、震災で親を失った震災遺児たちと遊ぶボランティアをした。
「子どもたちの目の色が普通の子とちょっと違うって感じたんですよ。一緒に遊んでいても、すごく緊張しているというか。それで私が想像もつかないようなつらい経験をしたんだなと伝わってきて、悲しく切ない気持ちになりました。その時、子どもたちには健やかに育ってもらいたい、地元の子どもたちのために働こうって決意したんです」
ようやく見つけた、やりたいこと。安永さんは市川市役所の採用試験で二度失敗するが、それでもほかの仕事に就こうとは思わなかった。同級生の多くは名の知れた企業で働くなか、フリーターを続けながら勉強を続け、3度目の試験で合格。倍率約60倍の狭き門を突破し、1998年、市川市役所で働き始めた。
「単なる怠け者なんじゃない?」
配属されたのは、社会福祉部の福祉事務所。面接で熱く訴えた子どもたちとは無関係の、ホームレスの支援が最初の任務だった。これが、安永さんの仕事の原点となる。
当時、市川市内には公園や駐輪場、橋の下などに200人ほどのホームレスがいた。安永さんは上司とともに、どういう事情があって路上で暮らしているのか、ひとりひとりから聞き取り調査をすることになった。当初、安永さんはこう思っていた。
「単なる怠け者なんじゃない?」
聞き取りを始めた頃は、警戒されてまともに会話をすることもできなかった。そこで、乾パンやアルファ米を持参して、名前と顔を覚えてもらうところから始めた。
民間の支援団体の力も借りながら足繫く通っているうちに、「あの人たちは悪い人じゃない」という口コミが広がり、ひとり、ふたりと話をしてくれる人が増えていった。
2年間かけて市内にいるほとんどのホームレスから話を聞いた。彼らの息子くらいの年齢だった安永さんは、それぞれの事情を知って、「怠け者だからホームレスになったわけじゃない。ひとりひとりにそれなりの事情があったんだ」と思い知った。同時に、視野が広がった。
「市川には、子どもたちだけじゃなくて、ほかにもたくさん手助けを求める人がいるんだと実感しました。その人たちとコミュニケーションをとって、寄り添って、『市川市に住んでよかった』と思ってもらえる暮らしを実現していくにはどうしたらいいのかということが、私のテーマになりました」
「日本国憲法は25条に生存権の規定があって、その下に生活保護法もある。路上で暮らす人たちにその権利を全うしてもらうよう、市役所の職員としてサポートすべきだ」と考えた安永さんは、動き始める。



















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